礼拝メッセージ

神の御力か、自分の力か/渡邊ミドリ師【NEW!】
II列王記18章13~25節
 ヒゼキヤは偶像を破壊し宗教改革を成し遂げた善王でしたが、アッシリヤが最初に攻め入った時には人間的な弱さを見せ、すべての要求をのんで多量の金銀を渡してしまいます。悪しき者の求めには、決して応じてはなりません。ヒゼキヤはその失敗を悔いて奮い立ち、次の戦いに備えました(歴代史32)。神は悔い改める者を必ず赦し、新しい知恵を与えてくださるのです。再び攻めて来たアッシリア王の使者ラブ・シャケは「いったいお前は何により頼んでいるのか」と言って民の前でヒゼキアを嘲笑します。しかし民はヒゼキヤの指導に従い、ののしりの言葉に惑わされず黙っていました(36)。どんな時も、悪口雑言に屈してはなりません。私たちを勝利させるものは神の御言葉しかないのです。私たちはどんなことがあっても静かに主の御言葉の前に立って答えをいただき、それに従って行動できるようにしましょう。
(2018.3.4)

 

滅びと改革(リバイバル)/渡邊ミドリ師【NEW!】
II列王記18章1~12節
 北イスラエルがアッシリヤによって滅亡した時、南ユダではヒゼキヤが王となり、彼によって宗教改革、信仰復興が成されました。ヒゼキヤ王の信仰は、ユダの王たちの中で最も良かったといわれています。彼は主に信頼して間違ったことになびかず、命令を守りました。これこそが、主に求められることなのです。神はそれぞれの信仰を評価されます。神に評価していただける信仰を持ちましょう。ヒゼキヤの行ったリバイバルは教会の手本となります。リバイバルが興るためには、必ず勝利があるということを確信することです。神の御心を行う時は、たとえ反対者があっても揺るぐことなく、神とその御言葉にしっかりと従い続けましょう。人生の終わりは滅びか救いしかありません。対照的な南北イスラエルに学び、同じクリスチャンでも明暗を分けることのないよう一人ひとりが気を引き締めましょう。
(2018.2.25)

 

身についてしまったものを変える/渡邊ミドリ師
II列王記17章33~41節
 アッシリヤ王がサマリヤに連れてきて住まわせた人々は、様々な偶像を持ち込みました。主は繰り返し、他の神々を恐れてはならない、主だけを恐れよと言われましたが、彼らは真に畏怖することなく、獅子による主の罰(25節)を恐れただけでした。そして唯一の神を、異教の神々のうちの一つとして拝んだのです。クリスマスを祝い、初詣に行き、節分をする現在の日本人の宗教観も、彼らとまったく同じです。信仰というものを勘違いしてはなりません。このような御言葉から外れた状態に陥らないためには、この世と妥協しないことです。イスラエルの民が繰り返し罪を犯したのも、簡単に妥協したからです。妥協は悪魔からくるものです。御言葉から外れるということは、偶像に心を開いているのと同じなのです。唯一の主の、素晴らしい力と聖い御腕に日々支えられていることに感謝し、主の命令と掟と定めとを守り行う者となりましょう。
(2018.2.18)

 

この場所で心の健康診断/渡邊真太郎師
マラキ1章6~7節
 私たちは身体や心だけでなく、霊的な健康状態にも敏感になる必要があります。一番霊的な状態をチェックできるのは礼拝です。もし礼拝に義務感を覚えているとしたら、霊的に風邪をひいているのです。礼拝に来る前に起きる大変な出来事と、礼拝そのものの素晴らしさとは無関係だということを忘れないでください。礼拝をおろそかにし、主から離れれば離れるほど、霊的状態は悪化します。霊的健康診断を怠った最悪の状態は、神を疑い、神を捨てる決断をすることです。今まで主が導き助けてくださったことを忘れないでください。絶望の時こそ、完璧な医師である主を求め、癒していただく必要があるのです。サタンの目的は、私たちに神を呪わせ、神との関係を裂くことです。どんな試練の時にも、神を疑う者、呪う者には決してなってはなりません。礼拝の場で神に触れていただき、神に対する疑いをすべて捨て、それを御恵みと置き換えましょう。
(2018.2.11)

 

聖なることにこだわる人/渡邊ミドリ師
II列王記17章24~43節
 私たちは聖いものよりも罪のほうに簡単になびいてしまいがちです。今の世も列王記の時代と変わらず、私たちを惑わすものが蔓延しています。そのような中で、断固として神の道を守り通す者となることが大切です。悪しき慣習を変えることは困難ですが、聖なることにこだわる者たちはそれに勝利することができるのです。聖なることにこだわるとは、間違ったことに決して適応しないことです。便利なこと、利潤を生むものの背後には悪しきものの策略が隠れていることが多々あります。サマリアに移住した異邦人たちの間違いは、祭司から唯一の神について学んでいながら、同時に自分たちの神々を礼拝することをやめなかったことです。偶像の背後には悪霊がいます。私たちはいかなる時にも、毅然として偶像をはねつけましょう。聖なるものにこだわる姿勢こそ、祝福への道なのです。
(2018.2.4)

 

立ち返る/渡邊ミドリ師
II列王記17章13~23節
 神の民イスラエルは、出エジプトをはじめとする大きな救いの奇跡に預ったにも関わらず、それらをすっかり忘れ、幾度となく与えられた警告にも耳を貸さず、神ではなく人に頼りました。神に裁かれる大きな要因の一つは、御言葉を軽んじることです。信仰的に成長する人とそうでない人の違いは、警告に耳を傾けるかどうかなのです。掟と定めと命令を守り行えば、神は私たちを愛し、祝福してくださいます。それは難しいことではく、大きな負担を強いられているわけでもないのです。罪の伝染力を軽んじてはなりません。裁かれた北イスラエルの罪は、南ユダにも蔓延していきました。ほんの小さな罪に鈍感になることが、滅びへと繋がっていくのです。自分で気づいていない罪をも主に示していただき、隅々まで聖めていただきましょう。
(2018.1.28)

 

本心に返る/渡邊ミドリ師
II列王記17章1~12節
 イスラエルは選びの民であり多くの奇跡を体験してきたにも関わらず、不信仰の罪を繰り返します。この箇所から教えられる真理の一つは、主を恐れず人に頼るなら失望するということです。大国アッシリヤの属国から脱却するため、北イスラエルはもう一つの大国であるエジプトに頼ります。しかし、彼らがアッシリヤの捕囚とされた時、エジプトは一切助けてはくれませんでした。人間の約束はまったく意味を成さないのです。第二に、偶像に気をつけなければならないということです。偶像とは異教の神々ばかりではありません。神でないものに目を向け流されてしまうならそれは偶像と成りうるのです。自分は間違ったことをしていないと思うことこそ一番の間違いです。本当の悔い改めがなければ本当の解決はありません。現在もイスラエルに罪を犯させたサタンの誘惑は働いているのです。私たちも同じ失敗を繰り返さないように身を引き締めましょう。
(2018.1.21)

 

主のしもべ/渡邊ミドリ師
ヨシュア記1章1~11節
 イスラエルの指導者モーセの死後、後継者となったヨシュアは、民と共に約束の地を獲得するという使命を神からいただきました。それは私たち、そして現在のすべての教会に与えられている使命でもあります。そのために必要なのは、主のしもべとなることです。この書の中で「主のしもべ」という言葉はモーセにのみ使われ、ヨシュアは「モーセの従者」と言われていました。しかしその人生を閉じた時、初めてヨシュアは「主のしもべ」と記されたのでした(24:29)。広大な地を獲得するためには、命令とおきてと定めを守り行う必要があります。主が御心のうちに立てられたご計画に従って生きていくことが大切なのです。神は何度もヨシュアを励まします。まことの勇気は人間の中から出るものではなく、神が味方であることから来るのです。私たちも神の勇者として、御言葉を先頭にして眼前に立ちはだかる川を渡り、主の成し遂げられる御業を見届けましょう。
(2018.1.14)

 

行くべき道を知る/渡邊ミドリ師
ヨシュア記3章5,11,17節
 私たちは人生のうち何度となく、どの道を選べばいいか迷います。しかし、私たちの行くべき道を決めるのは主なのです。紅海が二つに割れたエジプト脱出の奇跡の40年後、モーセの後継者ヨシュアは、民を率いて約束の地に向かう進路を再びヨルダン川に阻まれます。彼は、主の臨在のしるしである契約の箱を先頭に見ながら、民にその後ろを進ませました。私たちも、先導者である主イエスから目を離さず、御足の後をついていくだけでいいのです。そのためには、まず身を聖めることです。日々悔い改め、自分の罪から切り離されて、聖化していただきましょう。紅海の時には、主が直接介入して海を割りましたが、ヨルダン川は、彼らが信仰によって川に足を踏み入れたことで割れたのです。ヨシュアは既に神に勝利を与えられているという確信を持っていました。私たちにもサタンによる敗北はありえません。勝利の御旗は私たちの前にあるのです。
(2018.1.7)

 

もう少しだけ感謝をする/渡邊真太郎師
IIコリント4章16~18節、ローマ8章28~34節
 まことの神を知るということは、本当に素晴らしいことです。自分が設定した限界が取り払われ、人生の見解が、今よりももっと大きな範囲まで広げられるのです。目の前の出来事を見ると、それで人生がすべて決まったかのように見えます。しかし、今起きている事実に目を留めるのではなく、その事実の背後に働く主を見ましょう。私たちは嫌なことが起こると、主イエスが私たちのために莫大な犠牲を払ってくださったことをつい忘れがちです。主は絶対に味方であり、良いことしかなさいません。つらいことも、すべて良いことに至るために起きているのです。主は私たちを決して見捨てず、多くの恵みを与えてくださっています。ささいなことでも、自分が願っているよりも多くを与えられていることがあるはずです。それを忘れず、もう少しだけ、今よりも感謝をしましょう。
(2018.1.1 新年礼拝)

What's New

猫の里親さん募集中!生後5ヶ月・みもみキリスト教会
みもみキリスト教会Facebookページ