2012~2014年のメッセージ

神が与えられた日数(ひかず)の中で/渡邊ミドリ師
詩篇90篇1~17節
 この箇所では、神が私たちに与えられた日数を、どのように考えていくべきかを教えられたいと思います。第一に、人生の中には良い日もあれば悪い日もあるということです。自己中心的な人は悪いことが起こったとき、苛立ったり、それを呪ったりして正しく対処できなくなります。どんな試練があっても、御言葉をもって勝利していくことが大切です。第二に、自分の日を正しく数えるということです。それには私たちが聖書から新しい力、霊の糧を日々いただくことです。肉の糧が私たちの肉体を支えるように、日々の力を与えてくださるのは霊の力です。主に従うということは、日々新しい教えが主からくるということなのです。
(2014.12.28)


見て 伝えた/奥山実師
ルカ2章15~17節
 羊飼いたちは御告げを受け、遠くベツレヘムまで行って、救い主にお会いする恵みを受けました。私たちも、たとえ遠くても、祝福のあるところにおもむきましょう。メシアは馬小屋で、飼葉おけに寝ておられましたが、それを見た羊飼いは、戸惑いませんでした。御使いの啓示の通りだったからです。大事なのは、神の御言葉の啓示です。問題にぶつかった時も、聖書の啓示により頼みましょう。御言葉に生きると、主は万事を益としてくださるという信仰を持つことができます。飼葉おけの中のメシアを伝えた羊飼いのように、私たちも、へりくだったイエス様の姿を伝えましょう。それが福音伝道です。
(2014.12.21)


人となられた主イエス/渡邊ミドリ師
ヨハネ1章1~9節、エゼキエル1章28節
 なぜ主イエスは人となってこの世に来られたのでしょうか。この方法以外に、罪からの解放はなかったからです。人となられた主イエスが私たち人間に与えられたものとは、第一に愛です。サタンの誘惑によって罪を犯した人間を救うために、栄光の中におられた主が、人の形をとられてこの地上に来られました。そこに神の愛があります。もう一つのものは、命です。主イエスを救い主と信じ受け入れた人は決して滅びません。私たちは、聖書を通して自分という者の存在を知り、自分はイエス様のために何ができるのかを知りましょう。そこに到達した人は、信仰が飛躍的に成長するのです。
(2014.12.14)


定められた時/渡邊ミドリ師
ガラテヤ4章4~7節
 神が御子をお遣わしになった「定めの時」とは、決して良い時代ではありませんでした。そんな時代に主イエス様は人の子として地上に来られました。神様は約束したことは必ず守られます。御子を女から生まれさせるという約束(創世記3章15節)を成就させられました。次の「定められた時」は再臨です。イエス様は救い主ではなく裁き主として来られます。それまでに私たちがすべきことは、教会全体を聖めることです。聖めるとは、主のおっしゃることを守るということです。定められたその日まで、地上でしっかりと主がひとりひとりに与えられた賜物を用いてくださいと祈り、それを実践してください。
(2014.12.7)


手当たり次第なんでもしなさい/渡邊真太郎師
Iサムエル10章1~8節、13章8~15節
 私たちは、主イエスにある自由に基づいて、手当たり次第に何でもできるのです。でもそれは、神との関係が確固たるものであることが前提です。たとえ自分に自信がなくても、神は何でもやりなさいと言ってくださいます。この言葉は、神が確実に一人一人に使命を与えているということを表しています。しかし何でもしなさいという神の励ましが成立するためには、私たちは新しく生まれ変わらなければなりません。それは、イエス様を救い主として信じ受け入れることによるのです。そして、心を神とひとつにする努力を日々する必要があります。私たちは、イエス様から目を離さないという決断をし、信仰を決して投げ捨てないようにしましょう。
(2014.11.30)


挫折した時/渡邊ミドリ師
詩篇119篇24~32節
 人はどんなことがあっても一人立ちしなければなりません。独立すると、様々なことがおこり、無常の嵐が私たちを追い詰め、挫折します。しかし挫折はその人の信仰の真価が問われる時です。再起するためには、主の御言葉しかありません。何かが間違ってしまったと思ったら、それは御言葉の通りではないからです。御言葉の通りに生きることこそ、キリスト者としての真価が示されるということを覚えてください。挫折した時には、感情に溺れず、理性を磨くことです。御言葉に沿った生き方をしている人は悲しみの涙を流しても再び立ち上がり、喜びを得ることができるのです。
(2014.11.23)


何のために生きますか/渡邊ミドリ師
詩篇119篇17~24節
 人は何のために生きるのでしょうか。そのことがはっきりわかるためには、御言葉の奇しいことに目をとめることです。いくら聖書を読んでも、霊的な目が開かれていなかったら意味がわからないのです。聖書を読むときには、霊によって目を開かせ、奇しいことを見させてくださるよう祈りましょう。御言葉に目をとめるなら、私たちは、地上では旅人であるということを悟ります。旅には多くの危険と誘惑がともないます。私たちは永遠の命をいただくにふさわしい者かどうかを、自分に問うてみてください。そして悔い改める所は悔い改め、主に従うことが必要です。与えられた時間、与えられた命の中で、精一杯、目を開き、御言葉を自分のものにしていかなければなりません。
(2014.11.16)


若者の道/渡邊ミドリ師
詩篇119篇9~16節
 若い人が主の教えに従うためには何をしたら良いでしょうか。諭し、戒め、掟、すなわち律法を守ることです。今日は、神様の掟を正しく理解したいと思います。主の掟は、私たちの罪を示してくださいます。そしてその方向性を正しく導いてくださるのです。また、主の掟は、神が何を喜ばれるかを示しています。私たちをすべての誘惑から守るためには、御言葉をたくわえるということが非常に大切なことです。子どもたちを誘惑から守るのは教会であり、家庭です。子どもたちがクリスチャンとして正しい道を歩めるよう、責任を持って守っていきたいと思います。
(2014.11.9)


主の道に歩む/渡邊ミドリ師
詩篇119篇1~8節
 幸いの秘訣とは何でしょうか。第一に、主の御教えによって歩むということです。そうすれば、道をそれることはありません。誰もが幸せを求めますが、神の御言葉につながっていなければ、その先には死と滅びがあるのです。第二に、主の諭しを守るということです。主の諭し、掟は、私たちの罪をはっきりと示すために必要なものです。私たちはその掟を見ながら、自分の罪を自覚していかなければなりません。神様は約束を守られます。その正しい御言葉に従っていくことがまさに幸せへの道なのです。私たちクリスチャンは日々、神の御言葉を慕い求めていかなければなりません。私たちが主の掟を守ろうと努力する時、主はそれにお応えくださり、導いてくださるのです。
(2014.11.2)


永遠の命(死から命へ)/渡邊ミドリ師
ヨハネ5章24~29節
 永遠の命を生きるために、聖書が私たちに求めることがあります。一つは、主イエスを信じ切ることです。私たちの死や命を握っておられるのはイエス様なのです。人間の生も死もご存知なる主から、私たちは目を離さないようにすべきです。第二に、主の御声を聞くことです。私たちは福音を聞く機会はたくさんありますが、それを霊的に消化していかなければなりません。
クリスチャンが誤解してはならないことがあります。クリスチャンが死んだら永遠の命が与えられるのではなく、主イエスを信じたその時から永遠の命が与えられるのです。私たちは天の御国に行けるという特権にあずかっているわけですから、奮い立って、主の御栄光のために生きましょう。
(2014.10.26)


そこにある助け/渡邊ミドリ師
詩篇46篇1~11節
 苦しみは誰もが人生の中で何度も通らなければならない道です。私たちはクリスチャンとして苦しみにあった時、どこに希望を置けばよいのでしょうか。まず第一に、苦しみの時、神の助けは「そこにある」ということです。女も男も老いも若きもすべて、どんな苦しみの中にあっても、主の御翼の陰を避難所とするなら、神の助けはそこにあるのです。第二に、神の祝福が待っているということです。祝福は、本当に信じる人には、どんな時にも豊かにあるのです。第三に、終末に備えるということです。主の御口から出る言葉は必ず成るのです。神はいつも私たちと共にいてくださるという信仰に立ち、備えをしなければなりません。
(2014.10.19)


主の手に導かれて/渡邊ミドリ師
I列王記18章20~46節
 この箇所は、エリヤが偶像礼拝者たちとカルメル山で対決し、祈りによって大勝利を治めるところです。主の手を感じることができる祈りとは、どんな祈りでしょうか。第一に、優柔不断ではないということです。イスラエルの民は、主とバアルの間でどっちつかずによろめいていました。エリヤは一切優柔不断ではなく、必ず神が自分を助けると信じていたから勝利できたのです。第二に、健全なものを選び、堕落を絶つということです。主イエス様の手は、健全な信仰に働くのです。偶像は人を堕落させ、腐敗に導きます。私たちはどっちつかずな信仰を改め、主の手がいつもあることを実感しましょう。
(2014.10.12)

 

ファミリーからくる力/渡邊ミドリ師
コロサイ3章18節~4章2節
 聖書が語るファミリーには、三つの関係があります。一つは、夫と妻の関係です。この関係が正しく機能するためには、神様が人をつくられたときに与えた任務を守る必要があります。神は二人が協力し、いたわり合い、尊敬し合うようにつくられました。妻が夫に従い、夫が妻をいたわり思いやることが聖書の教えなのです。二つ目は、親子の関係です。子どもが成長するにつれて親子関係は崩れます。それは、神の御言葉の通りに教育しないからです。御言葉の通りに育てれば、子どもは道をそれることがありません。三つ目は、主従関係です。家庭でも学校でも職場でも、クリスチャンとしての誠実さを反映していくことを神は求められます。この三つの関係を、しっかりと心に覚えましょう。
(2014.10.5)

 

神が語り、人が応ずるときに/渡邊ミドリ師
イザヤ6章1~8節
 神はどんな人に語られるのでしょうか。どんな人が神に応答できるのでしょうか。第一に、聖なる神を見た人です。神の聖さは人が持っている本心を明らかにし、私たちに恐れを抱かせます。しかし、聖なる神と向き合う人には神が語りかけてくださいます。第二に、贖われる人です。イザヤの罪は、セラフィムの火ばさみによって贖われました(6、7節)。私たちにとってその火ばさみとは御言葉なのです。第三に、自分の罪を強く意識する人、心から悔い改め、許しを請う人です。人は神に応答するのをやめた時、堕落します。私たちは、ひとりひとりが神様の語りかけに応えていきましょう。
(2014.9.21)

 

幸いなこと/渡邊ミドリ師
詩篇41篇1~13節
 詩篇41篇は、病床の歌と言われています。ダビデが息子アブシャロムの謀反に際し、病に伏した時の歌です。しかしこの歌は「幸いなことよ」ではじまっています。このような中で、幸いな人とは、どのような人でしょう。第一に、弱っている者に心を配る人です。信仰をもって誠実に、病人のためにとりなしをすると、天上でイエス様がとりなしてくださるのです。私たちが弱っている者に本当に親切にするならば、私たちの命を永らえさせ、祝福を与えてくださいます。二つ目は、癒しを信じきる人です。ダビデの回復の引き金となったのは、神への信頼、信仰です。癒しを信じて、立ちはだかる問題を覆すために祈りましょう。
(2014.9.14)

 

主の忍耐と救い/渡邊ミドリ師
IIペテロ3章10~18節
 ペテロはこの手紙の最後で、私たちが備えなければならないことを教えています。一つは、裁きが必ず来ることを心に留めておくということです。二つ目は、清い生き方をする、敬虔であるということです。私たちは神が示される生き方に沿って生きなければなりません。それは滅びをまぬがれるためです。三つ目は、新しい世界は正義の住むところであるということです。私たちは滅び行く世界にいますが、その後に新しい天、新しい地が備えられているのです。再臨がまだ来ないのは、主の忍耐があるからなのです。主は皆が救われることを待ち望んでおられます。だから私たちは、地上において宣教の技に励んでいかなければならないのです。
(2014.9.7)

 

見落としてはならないこと/渡邊ミドリ師
IIペテロ3章7~13節
 ペテロはこの手紙の中で、クリスチャンに向かって見落としてはならない大切なことがあると語っています。一つ目は、天と地は神の言葉によって生まれ、神の言葉によって保たれているということです。二つ目は、再臨が遅れている理由をしっかり知っておくということです。それは、神は私たちが一人として滅びることがないことを望まれ、忍耐しておられるからなのです。三つ目は、新天新地が私たちを待っているということです。主は必ず来ます。その時のために、主の再臨を歓迎するような生き方をしてほしいということをペテロはすすめているのです。このペテロの教えをしっかりと受け止めましょう。
(2014.8.31)

 

キリストにより死は滅ぼされた/渡邊真太郎師
IIテモテ1章9、10節 Iコリント15章51~55節
 誰もが経験しなければならないのに誰も知らないこと、それは死というもの以外ありません。この箇所でまず第一に知っていただきたいことは、キリストは、死を滅ぼされたということです。死の恐怖、不安感は悪魔からきます。神の支配は死を上回っているのです。第二に、キリストは不滅の命を与えてくださいました。キリストにより死者は朽ちない身体を得ることができるのです。これが復活であり、死の究極の解決です。死の向こう側には神が待っています。あなたはイエス様の身代わりの十字架により罪赦され、堂々と神の前に立つことができるのです。これが福音なのです。福音を知る私たちが次にすることは「伝える」ことです。私たちはこの不滅の命を多くの人に約束させたいと思います。
(2014.8.24)

 

再臨についての教え/渡邊ミドリ師
IIペテロ3章1~7節
 ペテロは、なぜこの手紙を書いたかという目的をこの箇所で述べています。記憶を呼びさまさせ、純真な心を奮い立たせるためなのです(1節)。教会の中に偽教師や悪い者が入り込んできたときに、それを見抜く霊的な知性を持つことが必要なのです。ペテロがここで言っている大事なことは、再臨の日に私たちが教会でなすべきことを思い起こしなさいということです。あざける者は、創造のはじめから今に至るまで再臨の前兆などない、来るはずがないと主張しますが、彼らはノアの時代に洪水がきたことを見落としています。神が世の終わりが来ますと言ったら来るのです。だから備えをしなければならないのです。祈りを篤くし、聖書の御言葉をたくわえ、主の道を信じて従っていきたいと思います。
(2014.8.17)

 

巻き込まれないために/渡邊ミドリ師
IIペテロ2章10~22節
 私たちはこの世の罪にまみれていますが、キリスト者としていつでもその汚れをイエス様によって洗われるという特権をもっています。私たちが本当に霊的になるためには、悪いものが入ったときにその正体を見抜き暴く力を持つべきなのです。大胆不敵で尊大な者、理性のない動物と同じ者、昼から飲み騒ぎ楽しむ者、目は淫行に満ちている者、そのような者の最後は滅びです。彼らは正しい道を知りながら、それに従わなかったのです。清い聖なる御言葉に触れながらも、この世の惑わしに巻き込まれ堕ちていくなら、その問題は肉の性質にあります。ですから、私たちはイエス様に額づき、毎日のように洗い清めていただきましょう。
(2014.8.10)

 

山に向かって/渡邊ミドリ師
詩篇121篇1~8節
 この箇所は、神の都へ上っていく途中の巡礼者が、天地万物を造った主の助けを求めながら歌った信仰の歌です。この巡礼者たちは、命をかけて礼拝に向かいました。彼らは神の国、永遠の都へ向かう困難な旅路の中で、私たちの助けはどこからくるのかといつも思いながら歩んでいました。私たちの助けは、天地を造られた主から来ます。この確信を持つことです。もう一つの確信は、神様が守ってくださるということです。この箇所には守るという言葉が繰り返し出てきます。私たちがどんなところにいてどのような厳しい状況にあったとしても、神様はしっかりと守ってくださいます。主の臨在を認めながら歩んでいきましょう。
(2014.8.3)

 

歴史に見る真理~偽物と本物~/渡邊ミドリ師
IIペテロ2章1~10節
 本物のあるところには、必ず偽物もあります。旧約時代には偽預言者が人を惑わしました。新約聖書の時代になると、偽教師なるものが出現しました。ペテロはそれについて厳しく警告しています。真理に立つ教理と誤った教えをどう見分ければよいのでしょうか。一つは、偽物というのは非常に高慢であるということ、二つ目は、偽物はイエス様を否定するということ、三つ目は、不敬虔な者には懲罰が与えられるということです。教会に間違った教えや節操のない者が現れた時、共に滅びないようにとペテロは警告しています。悪いものを毅然として見抜くことができる霊的な力、信仰が必要であるということを覚えていきたいと思います。
(2014.7.27)

 

神のなさることは時にかなって美しい/渡邊ミドリ師
伝道者の書3章1~15節
 時という言葉から主に教えられることの一つは、すべてのことには定まった時があるということです。誕生と死は、人がどんなに努力しても逆らうことはできません。私たちにとって大切なことは、定まった時の中に生きているということを知ることです。だからこそ、私たちは地上で成すべきことがあるのです。二つ目は、永遠を思う心です。永遠の思いとは、時を既に越えた、もう戻らない過去、これから起こる出来事を意味しています。地上の時も永遠の時も支配するのは神です。それがはっきりわかった人は、神のなさることは時にかなって美しいと言えるのです。私たちは神の摂理の中を生きているということを忘れてはなりません。
(2014.7.20)
 

思い起こす/渡邊ミドリ師
IIペテロ1章12~21節
 ペテロは自分の死が間近に迫っていることをはっきりと知っていました。そして残された信徒たちに、自分がいままで話してきた福音の真理を忘れずに思い起こすことを望みました。福音の真理とは、一つに、ペテロ自身が経験した御言葉に基づいた事実です。ペテロは自分がキリストの威光の目撃者であることを強調しました。二つ目は、預言の御言葉が与えられているということです。主の再臨の時までは、御言葉が暗い所を照らすともしびとなるのですから、私たちはしっかりと聖書を読み、祈って、日々霊的な備えをしなければなりません。聖書の言葉は聖霊に動かされた人たちが神からの導きによって書いたものですから、決して私的解釈をしてはいけません。本当に聖書の前に額づき、礼拝を尊び、主に自分を明け渡して、主の御言葉を求める者となっていただきたいです。
(2014.7.13)
 

知っておくこと/渡邊ミドリ師
IIペテロ1章1~10節
 私たちはキリスト者としてまだ建築中の身です。良いクリスチャンとなるためには良い資材が必要です。良い資材とは、あらゆる努力に根ざした、信仰、徳、知識、自制、忍耐、敬虔、兄弟愛、愛(5~7節)です。この手紙では、神を「知る」「知識」という言葉が大切に扱われています。ここではキリストを知るということを説明しています。一つは、神と主イエス様を知ることです。神と主イエス様は同一です。二つ目は、私たちを召してくださる方は、素晴らしい約束を与えてくださっているということです。私たちは、神様との交わりの中に入れられているという特権を与えられていることを知るべきです。三つ目は、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはないということです。永遠の御国を目指して、自分がすべきことをしっかりと成し、この地上の道を歩んでいくことを願います。
(2014.7.6)

 

失敗から得るもの/渡邊ミドリ師
Iペテロ5章6~14節
 ペテロがこの手紙で一番言いたかったことは何でしょうか。それはどんな苦しみ、悩み、問題があっても最終的には神が喜びに変えてくださるということです。そう言えるのは、彼自身が体験者だったからです。ここには、神がわたしたちにしてくださることと、私たちクリスチャンがどう応答していくかということが記されています。神がわたしたちにしてくださることの一つは、ちょうどよい時に私たちを高くしてくださる、私たちの問題に介入してくださるということ、二つ目は、私たちを心配してくださるということ、三つ目は、私たちを強くして、不動の者としてくださるということです。私たちが神にすべきことは、へりくだること、心配しないこと、油断せず目覚めているということです。これを覚えてまいりましょう。
(2014.6.29)

 

神の計画はこのように成就される/渡邊真太郎師
Iサムエル記17章4~9、31~40節
 この箇所のダビデとゴリアテの話は、小さな者が強大な敵を打ち倒すことの代名詞となっています。サウル王は、なぜ少年ダビデに国の運命をゆだねたのでしょうか。その判断に影響を与えたのは、ダビデの確信に満ちた目でした。それは他の兵士には見られないものだったのです。主は人の心を変え、ご計画を実現する力を持っている方であることを忘れてはいけません。主に対する動かない確信は、状況を変える力となります。もし私たちが神の側にいるなら、神が私たちに関しては良いことしかなさらないのだという確固たる信念を失わないことです。私たちがダビデから学ぶことは、過去、あれだけの危機的な状況から救ってくださった神なら、今の状況からもお救いくださるという確信です。共におられる神様を信じ切って進んでまいりましょう。
(2014.6.22)

 

父と母を敬いなさい/渡邊ミドリ師
マタイ15章1~9節
 人が生きていくうえで一番先に会うのは父と母です。ですから十戒の中で四戒までは神との関係、五戒からは人との関係ですが、その最初が「父と母を敬え」なのです。この箇所でのイエス様の教えは、偽善者になってはいけないということです。偽善者は、自分たちは正しいと思っていますが、実は神の戒めを破っていることに気づいていないのです。これこそ人間として最も大きな罪なのです。イエス様が人に求められることの一つは、父と母を敬いなさいということです。敬われるような両親になることが大切です。二つ目は、人の言い伝えで神に従うのではなく、神の言葉に従うということです。神中心の生活とは、聖書に親しみ、よく祈り、御言葉を実践していくことです。この父の日に、聖書の教えを中心とした家庭を築いていきたいと思います。
(2014.6.15 父の日礼拝)

 

主は御霊です/渡邊ミドリ師
IIコリント3章17~18節
 今わたしたちがお会いできるイエス様は、聖霊なる主です。パウロはここで聖霊の役割について記しています。ひとつは、主は御霊だということです。御言葉と親しみ、御言葉に尋ねたとき、そこに聖霊の臨在があります。この御霊こそが、人を主イエスに導き、改心させ、新しく生まれ変わらせてくださいます。二つ目は、御霊があるところには、本当の自由があるということです。その自由は真理を悟る力です。三つ目は、御霊はキリスト者を、キリストに似た者にしてくださるということです。御霊は私たちを日々聖化することにより、神の御業を実行してくださるのだということを覚えましょう。
(2014.6.8 ペンテコステ礼拝)

 

高ぶる者とへりくだる者/渡邊ミドリ師
Iペテロ5章1~7節
 ペテロはこの5章で、教会のリーダーである長老の役割と、若い信徒たちの教会でのありかたについて記しています。その中で、指導者として、クリスチャンに必要な要素とは何かを教えています。一つは、謙遜であれということです。謙遜とは神様との関係からくるものです。神はへりくだる者には必ず報いをくださいます。第二は、神が敵対するものを知ることです。高慢はサタンの性質であり、謙遜は主イエス様の性質です。私たちは神を知らない世界にいます。人との関わりの中で、私たちがこの世界とは本質的に違っているということを示していくことが証しとなるのです。
(2014.6.1)

 

苦難を益に変える/渡邊ミドリ師
Iペテロ4章12~19節
 ネロ皇帝の迫害により、クリスチャンが苦しみを受けている中で書かれたこの書簡で、ペテロは苦しみは幸いであると語っています。苦しみを幸いと受け取る信仰とはどんな信仰でしょうか。一つに、苦しみは思いがけないことではないということです。どんなことをも受け止める霊的な訓練のために、御言葉に親しむことが大切です。私たちは御霊がいつも共にいてくださる平安をお与えいただいています。苦しみを通して、イエス様に似る者となるのです。二つ目は苦しみの価値観を変えるということです。キリストの名のゆえに苦しみを受けるなら、それは喜びに変えられ、神に栄光を帰すことになります。神は耐えられない試練にあわせることはないということを、心に覚えていきたいと思います。
(2014.5.25)

 

神があがめられるために/渡邊ミドリ師
Iペテロ4章7~11節
 この箇所では、クリスチャンとして世の終わりに備えた信仰生活を、ペテロから教えられたいと思います。世の終わりに備えができている信仰とはどのようなものでしょうか。一つは、生き方が変わるということです。祈りのために、心を整え身を慎むようになるのです。第二に、恵みの良い管理者であることを意識するということです。神様は私たち一人ひとりに賜物をくださっています。クリスチャンはその賜物を主のために、他の人のために用いるのです。それぞれが神様のご命令にしたがっていくことが大切です。それこそが教会の一致であり、調和となります。私たちは主に栄光を帰する生涯を送りましょう。
(2014.5.18)

 

このことがどうなるか分かるまで待ちなさい/渡邊ミドリ師
ルツ記3章18節
 ルツ記は、あがないのストーリーといわれています。夫と子どもを失ったナオミとルツは艱難辛苦の道を歩むのですが、買戻しの権利のあるボアズに出会って救われるという物語です。これは、イエス・キリストの十字架による身代わりの死を彷彿とさせます。ここでは、信仰をもって従い続けることの幸いを学びたいと思います。ナオミは、自分におこった不幸な出来事を、全能者である神によるものだと知っていたのです。ルツは、いつも姑ナオミの信仰に教えられ、それに支えられていました。ルツはボアズと結婚し、オベデを産んで千年後、その系図からあがないの主イエス様が誕生しました。母の日の今日、ナオミ、ルツの関係の中から教えられ、私たちもまた信仰の証人として歩んでいきましょう。
(2014.5.11 母の日礼拝)

 

苦しみと聖い生活/渡邊ミドリ師
Iペテロ4章1~6節
 人として地上に来られたイエス様は、悩み、苦しみ、悲しみ、すべてを経験されました。ましてやクリスチャンである私たちは、どんな苦しみの時にも、信仰の備えを持つべきなのです。信仰をもって誠実に生きようとしているのに、なぜ苦しみがあるのでしょうか。第一に、苦しみは私たちを聖めるということです。苦しみは、神からきたものです。信仰を持って自発的に受け取る態度を神に示すべきなのです。第二に、苦しみにより、神の御心のために過ごすようになっていくということです。何不自由なく暮らしている人よりも、苦しみを通して神の御心を実行している人のほうが幸せなのです。苦しみはマイナスではなく、霊的には非常にプラスだということを覚えましょう。
(2014.5.4)

主に導かれて/渡邊ミドリ師
創世記13章14~18節
 アブラハムは様々な問題をどのように解決していったのでしょうか。彼の人生を通し、指針を教えられたいと思います。第一に、いつも主の御心を求めたということです。多くの人より、たった一人の神に従うほうがどれだけ解決につながるかわかりません。アブラハムは、ロトの選択によって、自分の行くべき道が主によって示されるということがわかっていたのです(13章9節)。第二に、アブラハムはどんな時にもどんな場所でも、祭壇を築き、主の前に礼拝していました。それ故に、神に豊かに祝福されたのです。私たちが恐れるべきは、人ではなく主です。アブラハムの信仰に習い、必ず主の呼びかけに応答するようにしてください。
(2014.4.27)

 

復活による希望/渡邊ミドリ師
Iコリント15章12~19節
 キリスト教の中心は、十字架と復活です。パウロは、復活はないという人々に対し、この箇所でその事実を突きつけました。もし復活がないなら、なぜ宣教のわざは今も続いているのでしょうか。イエス様が十字架の死でもって終わられたなら、人類の救済はありませんでした。復活によって救いは完成されたのです。復活があったからこそ、私たちは希望に満ち満ちていられるのです。死んで終わりではなく、罪赦された者が行く住まい、新天新地がある、これこそが望みと信仰の土台であるということを、忘れないようにいたしましょう。
(2014.4.20)

 

新しく生きる/渡邊ミドリ師
Iぺテロ3章13~22節
 ペテロがクリスチャンにすすめる新しい生活、指針の一つは、善を行って義のために生きることです。たとえ不当な苦しみにあっても、それを実行する必要があるのです。苦しみの中でも、それを良い証しのチャンスとしなければなりません。二つ目は、その新しい生き方の先駆者は、主イエスだということです。十字架と復活があってこそ、私たちの勝利があるのです。三つ目に、その模範としてノアの家族を挙げています。同じ水が、人類においては裁きの水であり、ノアとその家族にとっては救いの水だったのです。バプテスマの水は、過去の罪に死ぬということを示しています。バプテスマの水を通して救いにあずかった人たち一人ひとりが、新生したということを覚えなければなりません。
(2014.4.13)

 

苦しみの中の五つの道/渡邊ミドリ師
Iぺテロ3章8~12節
 ここでペテロは、クリスチャン同士の関係を正しく保つことについて触れています。そのために必要な五つの道は、「心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。」(8節)ということです。心を一つにするとは、同じ思いになるということです。同情し合うというのは、共に苦しむということです。兄弟愛とは、皆が主イエスを父とした主の家族となることです。あわれみというのは、行動をともなった同情心です。謙遜とは、主イエスのご性質です。私たちは、このハイレベルな要求を目指すべきであり、到達するための努力をしていく必要があるのです。
(2014.4.6)

 

夫婦の在り方/渡邊ミドリ師
Iぺテロ3章1~7節
 今回の御言葉の中心は、第一に、妻が夫に服従するということ、第二に、夫が妻を尊敬するということです。妻についての教えは、妻自身が主イエス様の証人となりなさいということです。たとえ夫がノンクリスチャンであっても、自分の行いを通して、夫が神のものとされるようになるためです。また、外面的な装いではなく、心に輝きを持つことも必要です。夫についての勧めは、妻は女性であって、自分よりも肉体的に弱い存在であることに配慮し、女性蔑視的な見地に立たず、妻を守ることが大切です。そして妻を生涯、命のように愛していくことです。共に生活するために神から与えられた人なのだということを意識しなければならないのです。
(2014.3.30)

 

神に喜ばれること/渡邊ミドリ師
Iぺテロ2章19~25節
 神に喜ばれる行為とは、どんなことでしょうか。一つは、恵みを受けるに値しない者への配慮です。自分を愛さない者を愛し、親切でない者に親切にし、借りたものを返さない人に貸すことをペテロは勧めています。それは、実際に彼も同じようにし、そこから大きな祝福と恵みを受けたからです。それが私たちにもできるようになるには、イエス様が十字架の上で命にかえて私たちを救ってくださったという原点に戻ることが必要です。二つめは、神の臨在を信じ、自分の良心を自覚することです。私たちは神のご性質をもって作られたものですから、良心も神から与えられています。神が見ておられるという立場に立ち、その采配に委ねましょう。
(2014.3.23)

 

キリスト者の領域/渡邊ミドリ師
Iぺテロ2章11~17節
 ペテロは、クリスチャンがこの世で、入っても良い領域といけない領域について取り上げています。私たちはイエス様を信じた時から、この世とは違った生き方を示していかなければならないのです。まず、クリスチャンとしての身分・立場をわきまえることです。私たちは旅人・寄留者であり、本当の国籍は天の御国なのです。主から求められるのは、腐敗したこの世の中において、清涼剤のように主の香りを放つ者となることです。また、クリスチャンは制度・国家には従う必要がありますが、制度が神の正義に反するような時は、私たちの信仰に委ねられます。立派な行いをし、キリストの子どもとしての品性を決して失ってはならないのです。
(2014.3.16)

 

「ともにおられる神」とともに生きていく/渡邊真太郎師
第二列王記4章1~7節
 この箇所は、良いことをしたのに辛い状況に陥ってしまった者に対して、神様はご自分のことのように心痛められるということ、主が少し御手を伸ばせば、何でもおできになるということを示しています。主は奇跡以外に解決方法がない時、奇跡を起こされるのです。役に立たないようにみえる器が、神の恵みの注ぎと満たしを生みます。神が奇跡を起こされる時は、その場所に預言者がいなくても、その言葉に従う信仰があれば良いのです。主は必要をご存知であり、それを満たしてくださいます。そして、私たちが自発的に生きていくことを望んでおられるのです。
(2014.3.9)

 

特別な任務/渡邊ミドリ師
Iぺテロ2章4~10節
 ここには、主イエス・キリストを信じた者たちに与えられた恵みと特権が数多く記されています。信仰者には、神に選ばれた民として特別な任務が与えられています。私たちは宣教のために最前線に立たなければならないのです。また、イエス様を通して、クリスチャン一人一人が生ける石として、霊の家である教会を建て上げなければなりません。それが王である祭司と呼ばれる特権です。すべてのクリスチャンは万人祭司として、自分を捧げるのです。御国での聖なる国民として、神の御名に相応しくないものと分離し、御言葉を述べ伝えていきましょう。
(2014.3.2)

 

霊的な成長/渡邊ミドリ師
Iぺテロ2章1~3節
 私たちは、クリスチャンとして人々に紹介していくべき大事なことを主から受け取っていることを忘れてはなりません。それは、神様がイエス・キリストを通して私たちに与えてくださった、新しい人生です。イエス・キリストの聖さを生活の中で示していかなければならないのです。私たちは新生した者なのですから、霊的な成長をしていく必要があります。霊的に成長するためには、私たちの霊性を妨げるもの、悪意やごまかし、偽善、ねたみなどを捨てなければなりません。そして乳飲み子と同じように、神様の御口から出る御言葉を霊の乳として、激しく求めましょう。
(2014.2.23)

 

神のみことばはとこしえに変わらず/渡邊ミドリ師
Iぺテロ1章22~25節
 私たちはこの世の中では旅人です。私たちの本当の国籍は天にあるからです。どうすれば御国に忠実に従うことができるのでしょうか。第一にペテロは兄弟愛をすすめています。「熱く」愛し合う(22節)ということは、強さ、継続をともなった神から来る愛です。御言葉による神の愛を模範とすべきです。第二に、地上で必要なもの、地位、人間関係すべては一瞬にして消えるものであり、消えないものは神の御言葉によるものだけです。御言葉によって忠実さを示しましょう。第三に、キリスト者はこの世から悪い影響を受けてはなりません。そのためには御言葉で養われる必要があります。私たちはこの世に良い影響を与えていかなければならないのです。
(2014.2.16)

 

模範とすべき方/渡邊ミドリ師
Iぺテロ1章13~21節
 私たちが模範とすべき最高の方は誰でしょう。その方を真似ていれば私たちは道を踏み外すことがありません。それは父なる神様です。私たちが聖なるものとなるためには、この世のものに従わず、父なる神に恐れと尊敬をもって従うべきだとペテロは勧めています。すべてにおいて私たちが神に従順になったとき、信仰があらわれてくるのです。次に私たちが倣うべきなのは、主イエス・キリストです。考えられないほどの大きな代価を払って、私たちを罪から買い取ってくださったのがイエス様の十字架です。私たちは、毎日の生活の中で感謝して日々聖められ、聖なる民として自分を献身的に捧げていく必要があるのです。
(2014.2.2)

 

信仰の結果与えられるもの/渡邊ミドリ師
Iペテロ1章1~12節
 信仰を持っていても、私たちの中に苦しみや困難、悲しみは必ずあります。それを力としていくのか、霊的に行き詰ってしまうのかが、信仰のテストであることを私たちは知らなければなりません。どんなことがあっても、信仰の結果与えられるものがあるのです。その一つは、私たちに生きる望みを持たせてくださるということです。二つ目は、私たちには肉体だけでなく魂の救いがあるということです。三つ目は、私たちを聖霊、御使いにより守り通してくださるということです。神様は、私たちを決してどん底に陥れるようなことはなさいません。それを具体的に示しているのがイエス様の復活です。そこに私たちの永遠の希望があるのです。
(2014.1.26)
 

主に愛された弟子/渡邊ミドリ師
ヨハネ13章21~30節
 ヨハネは自らを「主に愛された弟子」と記しています。それはけっして自惚れではなく、主に愛されていることを実感できているという、クリスチャンとしてとても大切なことなのです。では、どうすれば実感できるのでしょうか。それは、日常生活の中に主を見るということです。イエス様はいつも身近にいらっしゃいます。また、主の御業が成し遂げられるのを願うことも必要です。神の愛は分け隔てがありません。私たちは御言葉の前にひざまずき、御言葉と向き合って主を実感できるよう、自分を主の御前に献身的に捧げていかなければならないのです。
(2014.1.19)

 

評価される信仰/渡邊ミドリ師
ヨシュア記17章1~6節
 神はここに登場する五人の娘の信仰を高く評価しました。彼女たちから教えられることの一つは、神様との約束は必ず守るよう要求したということです。これだけは曲げられないという信仰を持ち、権利を主張したのです。神が彼女たちの言い分を評価したのは、その要求が、人間的な欲望からきたものではなかったからです。彼女たちは歴史をも変えました。男尊女卑の中で女性の権利が受け入れられるきっかけとなったのです。信仰というのは、淡白であってはなりません。時には執拗に、神にくいさがって求めていくことが必要なのです。
(2014.1.12)

 

人生の価値ある生き方/渡邊ミドリ師
伝道者の書4:7~12
 栄耀栄華を手にしたソロモンを虚しくしたのは「孤独」でした。富によって得る喜びには、必ず偽りの友やだまし事がついてまわります。この箇所では、友愛の価値を知ることの重要性が記されています。神はアダムとエバを創造された際、人間の本来の姿は一人ではないことを示されました。三つ撚りの糸とは、二人の間に存在するイエス様なのです。常にイエス様を中心として生きることが大切です。
(2014.1.5)

 

愛と真実/渡邊ミドリ師
IIIヨハネ1~15
 ヨハネは、様々な問題を抱えている教会やクリスチャンに対して、解決するときに何を優先すべきかを教えています。一つは、本心から愛を持って神の命令を守り従うということです。もう一つは、真実で忠実な行いをするということです。イエス様は、本当に主を愛する者、どのようなことにも感謝している者には、必ず祝福をもって応えてくださるのです。私たちの行いは信仰の顕れです。言動のすべてにおいて神の栄光を覚えるようにしたいものです。
(2013.12.29)

 

歴史を支配し給う神/奥山実師
ルカ2:1~7
 皇帝の命令で、神の家族がベツレヘムへと移動しなければならなかったという事実は、あたかも歴史を支配しているのが人間であるかのようですが、実際は、旧約聖書の預言(ミカ書5:2)が成就するための神のご計画でした。世界を動かしているのは神です。人間は神を礼拝するために創られました。日曜ごとに礼拝に参加すること自体が伝道となるのです。求道者を礼拝に招くことも大切です。そして本当の礼拝とは、神に自分自身の身体と人生を捧げることなのです。
(2013.12.22)
 

真理を知る/渡邊ミドリ師
IIヨハネ1:1~13
 この世で様々な問題が起こるのは、真理を知らない人が多いからです。ヨハネは真理を知るための具体的な方法を示しました。真理を知るとは、キリスト者として忠実に主に仕えることです。真理を知る人とは、教会を愛する人であり、主に栄光を帰すために行動する人です。ヨハネの語る愛の根底には、神様への服従があります。神不在の愛は感情的で脆いものです。クリスチャンの愛は神中心の愛であり、土台が揺らぐことはありません。
(2013.12.15)

 

確信を持つ/渡邊ミドリ師

Iヨハネ5:13~21
 クリスチャンは自分の信仰と霊性に確信を持たなければなりません。私たちのために命を捨ててくださったイエス様から受けた恵みがどんなものか、わからなかったら意味がないのです。ヨハネは三つの確信を提示しています。第一に、信仰者は永遠の命を既に与えられているということ、第二に、御心にかなった祈りは必ず聞かれるということ、第三に、神によって生まれたものは、罪を犯し続けることがないということです。これらを信じて歩みましょう。
(2013.12.8)

 

神を証しするものが三つあります/渡邊ミドリ師
Ⅰヨハネ5:6~12
 神を証しするものは御霊と水と血です。水は洗礼を受けた主イエス、血は十字架の贖罪、そしてそれが真実であると証明したのが御霊です。この三つは、分割されるものではなく一つです。このうち、今なお神の御業を成すために活動し続けているのは聖霊です。主を愛し、主と親しく交われば、聖霊が自分とともにいることを真に感じることができます。生きている中で様々な問題につきあたりますが、これらを信じきった時、神は必ず答えをくださるのです。

(2013.12.1)

 

聖なる注ぎの油/渡邊ミドリ師

Ⅰヨハネ2:20、27~29

 真理を知ると、主こそキリストであることが分かる。そして、主のために用いられたい、従いたいと願うようになる。次に、正しく導いてくれる教師は聖霊であることが分かり、みことばに乾くようになる。人は乾くことで、初めて活ける水を求める。求める中で、ますます主に仕え主に従いたくなる。そして、霊を見分ける力が与えられる。

こうして、聖霊が内住するとき、悪霊は心に入ることは出来ない。みことばにしっかりと立ち、再臨に備えたい。

 (2013.10.13)

 

わたしたちの国籍は天にあり/渡邊ミドリ師

ピリピ3:12~21

 神の国へ帰るまで時は止まらない。私たちは後ろのものを忘れ、ひたむきに前に進みながら神の時を過ごすべきである。誘惑の多い社会。この中でクリスチャンは信仰の姿勢を見せてゆく必要がある。そのために神に近づけば近づくほど、自分の罪深さ不完全さを感じる時がある。それは御霊によって気がつかされているのであり、悔い改めるチャンスを主は与えてくれているのである。主は悔いた心で神を愛する人を美しく装ってくださる。

 国籍が天にあることを感謝しつつ、まわりに手本となるように歩みましょう。

(2013.9.29 昇天者記念礼拝)

 

「光か!闇か!」渡邊ミドリ師

1ヨハネ2:1~12

 キリスト者になってからも、自分の罪深い性質に悩む人は多い。使徒ヨハネはこの書を書いたのは、キリスト者が罪を犯さないために何をすべきかを記している。

 本来、人は神様を礼拝するために造られた。人から平安を奪う闇に立ち向かうためにも「みことば」にしっかりとた立たなければならない。光の中を歩むクリスチャンは言葉と行いの一致が大切である。それでも罪を犯したときは、私たちの弁護人は主である。正しく歩もうと思っていても、人の考える善と悪は、神の思いとは離れ、誤りやすい。真の善と悪を知る神様に聞くことが大事。困ったら、聖書を読む。主に聞き祈る。闇に対抗して光の内に歩むためにも、なだめの主を信頼し、みことばに立ち、みことばをたくわえて生きよう。(2013.9.22)

 

8月4日(日)渡邊ミドリ師

どちらに生きるのか・・・御霊か 肉か

ガラテヤ5:13~26

御霊によって歩みなさい、と聖書にあります。私たちは御霊によって歩まなければなりません。そのためには、みことばを毎日読み、みことばに導かれなければ、御霊によって歩むことはできません。聖なる宝の民といっても、みことばから離れれば、すぐサタンにやられてしまいます。御霊によって歩みたいなら、まず、決断しなければいけません。決断しみことばによって歩むとき、御霊の実がみのります。御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。主の前に、静まり悔い改め自分の状況・願いを主に申し上げつつ歩みましょう。

 

7月7日(日)渡邊ミドリ師

満たされます

ヨハネ6:1~14節

5000人の給食にところです。他の福音書にも書かれていますが、ヨハネの福音書を取り上げるのは、ヨハネだけが着目している点があるからです。まず、「群衆」。彼らは奇跡を見ただけでなく奇跡に預かる事が出来た(しかし、これだけの祝福を受けても彼らはやがてイエス様に背を向けます。人は実に罪深い)主はこのときピリポとアンデレを試されます。主の奇跡を体験している彼らが5000人を養うことを前にどう主を信じるか、をご覧に成りたかったのです。主は10節で人々を御前に座らせている。これは、主の前に謙遜に、身を低くすることを表します。この奇跡では小さなもの、とるに足りないものを主は用いました(男の子と、2匹の魚と五つのパン)。私たちがどんなに小さな器であっても、主の前に身を低くするとき主は豊かに用いて下さいます。(主に満たされる秘訣)

 

5月26日(日)渡邊ミドリ師

私たちの養育係

ガラテヤ3:23~4:1~7

奉仕は自ら進んで行うとき喜びがくる。私たちは聖なる神の前に出るときに、まず自らの「きよさ」を求めよう。

そのために、まず、罪を悔い改めよう。。律法は私たちをキリストに導く。そして主イエスは私たちに霊的な栄養をあたえようとしている。この世界は牢獄、私たちを救うために主は身を投じて救ってくれた。日々のディボーション、礼拝、祈祷会に励み、霊的に養われる主に従ってゆこう。

 

5月19日(日)渡邊ミドリ師

「聖霊の力」

使徒の働き1:1~14

私たちの日常の中では様々なことが起こる。私たちは何が起こっても「みことば」を行い、責任を持って歩むことが必要である。使徒の働きは、聖霊の働きの書ともいう。主は人の悔い改めの実を見る。私たちは、180度変わり御霊の満たされて歩もう。そのためには、まず祈る(求める)、私たちを愛される主は、私たちの求めを知っておられ答えて下さる。また、同時に、主の恵みを覚えることが必要である。そこに主の愛が見える。祈り、みことばに親しんで歩もう。

 

5月12日(日)渡邊ミドリ師

母の日 「幸せな家庭」

詩篇128篇

 聖書は、全てを含んでいる。どんな時にも、聖書に聞くことを第一とすることは、何よりも大切である。聖書にあるように「主を畏れることは、知識のはじめ」である。ダビデが常にへりくだり、悔い改め、主に聴き従ったように歩もう。私たちは聖書のみことば、主の声に従うのであり、自分のレベルで信仰をはかってはならない。主の答え、応答、ヴィジョンはみことばによって与えられ示される。みことばに聴き、祈っているとき示されたことを、即実行する人は祝福を受ける。人には多くの計画があるが事を成して下さるのは主である。幸せな家庭のために詩篇128篇を心にとめよう。

 

新会堂一周年記念礼拝

3月10日(日)渡邊ミドリ師

「永遠に記念とせよ」

ヨシュア記3章11~17,4章1~7、22~24節

 荒野での40年を経ていよいよ約束の地へむかうイスラエル。ヨシュアとカレブ以外は第二世代と成っていた。ヨシュアは自分たちをエジプトの地より導いてくれた、主の奇しい業を忘れないように記念する碑をたてた。

ヨシュアは民に信仰の原則を求めた。そのひとつが「契約の箱」を中心にして歩むことである。このことは当時のイスラエルの民だけでなく、今を生きる私たちにも共通している。今、契約の箱は「みことば」である。当時、契約の箱を大切にしたように私たちは「みことば」を中心にして生きなければならない。それには、まず「聖さ」が求められる。私たちは世に振り回わされてはならない。世にあっても「みことば」によって生きるのである。「みことば」によって主に会い、主に従うのである。時として、聖書を通して、今までとは違う道を示されることがある。しかし、主がついていれば大丈夫である。この信仰の原則をいつまでも忘れないように、子ども達に伝えてゆこう。

 

3月3日(日)渡邊ミドリ師

「福音の真理を守るために」

ガラテヤ2:1~14

 サタンは、クリスチャンを堕とそうとして、日々私たちの周りを徘徊している。聖霊による祈り、みことばはサタンに勝利する秘訣である。私たちは「みことば」にしっかりと立ち・・・

①誤ったことに譲歩しない。

 様々な状況の中で、偽りや交わりに注意する。社会の中には、いろいろな他宗教の要素が入っていることがある。習慣等に、慣れたり妥協しないで歩む事が必要である。そのためには、聖書やみことばの基準を自分の内にしっかりと持つことが大切である

②クリスチャンは挑戦する者。

 社会の中で福音をゆだねられている者として、宣教のために挑戦する者でありたい。自分の生活だけではなく、主が愛された隣人のために伝道隊を組織し近隣に伝道しよう。

 

2月24日(日)渡邊ミドリ師

「変わるとき」

ガラテヤ1:11~24

  福音を信じたら人は変わる。人は熱心では変わらない。パウロは、イエスと出会い救われる前、誰よりも熱心であったが、それは誤りであった。本物の福音に触れたら、人は変化する。主にあって変化したとき、人は主の栄光をあらわすようになる。その人の実は、キリストのよい香りをはなつようになる。栄光の表し方は人によって違う。主からいただいた賜物はそれぞれ違う。その賜物を活かすためにも、人はみことばに立って変化する必要がある。変化が起こったとき、その人の人生に革命が起こる。

 

2月10日(日)

「土地を得るために」渡辺ミドリ

 創世記23:1~20

 宣教のために実籾の地へ導かれたのも、創世記であった。今回も「駐車場」のことについて、聖書から導かれた。与えられるためには有料で得るようにと。改めて思うのは、みことばをいただいたら、その通りに動く。即行うことが大事。そして、決してみことばをくずしてはならない。そうしなければ祝福を逃す。どのような状況にあっても、主とともに歩もう。人の意見は、時に正しく聞こえる。しかし、忘れてはならないのは「神の声」である。神の御心は聖書を通して語られる。聖書を読まずして、道が開かれ導かれることはない。私たちは残された民(レムナント)、神に選ばれた民であることを忘れてはならない。ともに祈り、聖書に従って歩もう。

 

2月3日(日)

紫園香さんを招いての賛美礼拝

 

1月27日(日)

「真理は人からは来ない」渡邊ミドリ師

ガラテヤ1:11~17

 真理、福音に立つと戦いが必ず起こる。そのような日常に流されないためには「油」を用意することである。「油」とは何か、それは聖霊です。。聖書に親しみ祈ること、教会生活を自分の生活の中心に据えることである。この姿勢を周りに惑わされず確立することである。確立した土台の上にこそ聖霊の働きがあります。

 毎週、礼拝において「みことば」を一つ持ち帰ろう。みことばは肉体、霊を強くする。真理は人からは来ない、主からである。神の啓示は、みことばを通し、聖霊によって、見え感じることができ、信ずることが出来る。その力を弱めるのは自分である。シャーマ/イスラエル(聞け!イスラエル)。全生活のうちに主を認めよ、そうすれば真理は直接に主からくる。決して人からは来ない。主から生まれたときから選ばれた者として真理に立ち、福音の宣教者となろう。

 

1月20日(日)

「神を喜ぶ生活」渡邊ミドリ師

ガラテヤ1:1~10

 私たちの生活の基本は「主を喜ぶ」ことである。家庭や子どもの教育、仕事場や近所への伝道のもとは、全て同じである。日々、主を畏れ愛し、喜ぶその姿を見て人は主を知り、神を感じるのである。特に家庭においての「信仰継承」はもっとも大切なことである。どのようにすれば良いのか、と悩む必要はない。主を畏れ喜ぶその姿を見せるだけで良い。主を愛するとき必ず家庭は祝福される。私たちの最も重要なこと、何よりも優先することは、日々の中での神との正しい関係(聖書を読み、祈る。礼拝、祈祷会などへ出席する)である。この世になびいていないか。福音を曲げていないか。神様が自分にして下さったことを思い出し感謝をしよう。そして、「心から主を喜ぶ生活」をしよう。

 

1月13日(日)

「天の開いた門・この後、必ず起こることを示そう」渡邊ミドリ師

 黙示録4:1~11

 ヨハネの黙示録は、難しく読みづらいことから避けられることの多いところである。しかし、主は今年の聖句はここから(4章)与えられた。これは驚くべき恵みである。それは、4章から5章が黙示録の中心であるとともに、これほど天国を示したところはないからである。死は一人一人に必ずくる。例外はない。私たちはそのときのために準備をすべきである。そのためにも主はここを示してくれた。また、天上の礼拝は、礼拝の本質をも示している。そこは、神の主権の満ち足りたところであり、賛美のあふれるところである。私たちは神を畏れ心も身を正して出席するべきである。そのためには、キリストである聖書に親しみ、みことばと共にあることが大切である。みことばを読まなければ、キリストのことも天上のこともわからない。サタンは私たちを聖書に近づけないように躍起である。黙示録において最高の礼拝を見せて下さった主。サタンに打ち勝つためにも、日々聖書を読み、礼拝を生活の中心におこう。

 

2013年1月6日(日)

みことばとともに歩み続ける 渡邊ミドリ師

ルカ4:1~15

イエス様は洗礼を受けたすぐ後に荒野で40日サタンの試みを受けた。聖霊の役割はまず、相手の正体を明らかにしてくれる。そして、悲しみの中にあるとき、有頂天のとき、試みから守っても下さる。聖霊は私たちの必要を知っておられる。試みにはみことばで勝利しなければならない。みことばは私たちの拠り所。またみことばは霊的な交わりの場でもあり、心からの悔い改めを導いてもくれる。私たちは信仰によってみことばに立つ「覚悟」が必要である。覚悟があれば行動はぶれない。みことばによって人やものごとを見分ける。みことばを暗記することで、常に用い勝利を得てゆく。サタンは私たちの周りを獅子のように徘徊している。誘惑・試みは必ずくる。みことばと賛美と祈りをやめては成らない。みことばとともに今年も歩み続けよう。

 

12月23日(日)

クリスマス礼拝 奥山実師

申命記22:22~24

ヨセフは正しい人であった。彼は旧約の律法のに忠実な人であった。それ故に妊娠したマリヤへの対応に悩み苦しんだ。律法に寄れば彼女は石打ちにしなければ成らないからである。ヨセフはそうはしたくなかった。律法と自分の気持ちが矛盾する中でマリヤをさらし者にしないと決心する。この決心は自分の命にも関わることであった。彼は覚悟を持って決心したのである。私たちも主に従うとき「覚悟」を持って決心し、宣教に臨む事が大切です。

使徒20:24

 

12月16日(日)

「残りの民の力」渡邊ミドリ師

ミカ5:1~5

 予言者ミカから次の3点を教えられたました。

1,救いは小さな街ベツレヘムからでた。神様は28年前、実籾の町に私たちを導かれ、教会が誕生した。私たちはこの町にいる者、残された者として大胆にみことばを宣べ伝えてゆきたい。実籾から千葉に。千葉から日本に、そして世界に福音を伝えるビジョンをこれからも掲げ歩んでゆきたい。

2.人々の救いのため実行と行動を持とう。三人の博士は、ミカの予言を信じ行動した。信じただけでなく実行に移した。救いの到来を逃さなかった。

3.主のために、何をしなければならないのかる。私たちは残された民として、主にお会いするためにやらなくてはならないことがある。主に伺いつつ、日々、喜びと感謝を持って真剣に行うとき、すべの面で主は報いて下さる。

 

11月25日(日)

「生と死と永遠」渡邊ミドリ師

伝道者の書3:1~15

朋之兄が38歳の若さで天に召されました。私たちは死の備えが出来てこそ自分人生の生き方がわかる。日常で何かがあると騒ぎやすい。当たり前のかわり映えのないと思える日々が、どれだけ主の庇護の元にあり、守られているか、もう一度考えてみる(伝3:11)必要がある。すべては神さまの時の中にある。起きることの背後に神さまを感じ、感謝して任せる。そして心から神さまを礼拝することが大切である。安心して神さまのに任せるとき、すべては時にかなって美しいと感じることが出来る。

 

11月18日(日)

「歴史の中の一人として生きる」渡邊ミドリ師

創世記6:1~10

教会の名称に「ハーベストチャペル」をつけることが許可されました。名称変更手続きのため、特に会計士の黒田氏に労をとって頂きました感謝します。私たちは新会堂の名前にふさわしく、大胆に福音を宣べ伝え、魂の収穫(天国)を目指しましょう。生かされている私たちは今の時代、ともに生きる人々に責任があります。ノアの時代、箱舟はノアや動物たちを大洪水から守りました。その時 動物たちは自主的に箱舟に入りましが、多くの人たちは救いに背を向け、自ら滅びの道を選びました。現代の箱舟は教会です。今の時、歴史の中で生かされている私たちは、人々を救うために励んでまいりましょう。

 

10月28日(日)

「知っているはずの真理」渡邉ミドリ師

ロマ8:26~30

神様はすべてのことを働かせて益として下さる。この真理について、あなたがたは知っているはずです。知っておくべき真理とは、主にあってすべてが益となる、このことです。すべてが益となることは、神を愛する人たちに対して言われています。すべてのことは神様のご計画の中にあると信じて歩めますように、決して疑わず、不従順な者となりませんように。御霊は深いうめきを持って、私たちを愛して下さっている。そのことを覚え、神様のご計画に従って主に召された者、真理を知り信じる者として歩もう。

 

10月21日(日)

「キリスト者の自由」渡邉ミドリ師

ガラテヤ5:1~6

律法は社会の秩序を保つため、罪に気がつくためにある。そして、その罪からの解放は主キリストがして下さる。律法は秩序、救いはキリストである。霊的体験は学ぶ事が出来ない。私たちの教会に、会堂建築を通じて霊的な祝福を下さり、霊的な体験を下さったのは、素晴らしい恵みであり、出エジプト(紅海)に匹敵する奇跡である。神様は私たちを愛し祝福していて下さっている。私たちはキリストにあって自由を与えられている。感謝する自由、また、サタンの攻撃からの自由等たくさんある。主にいつも感謝して、自分の身体、時間、持ち物を主の宣教に用いて頂こう。

 

10月14日(日)

「祈りと四つの真理」渡邉ミドリ師

ヤコブ5:13~20

ヤコブ5章はAD70年、エルサレム滅亡の前に、クリスチャンの霊的生活、特に祈りの4つの真理について書いた手紙です。①状況に応じた祈り②癒しを求めての祈り③互いのためのに祈り④祈りに祈る・・である。この地上にあっては、災いはついて回る。状況が、あまりに悪すぎても良すぎても祈れない。私たちは、あらゆる時に、祈りと賛美に導かれるように(祈りと賛美は同じである)。主の臨在に触れたら、ますます主を信じ、主を信じ切って勝利してゆこう。サタンに対抗する唯一の方法である。また、互いに祈り合い、励まし合って「熱心」さを保とう。こうしたことが、救霊のために主に用いられる秘訣である。

 

10月7日(日)

「老舗500年の秘訣」田中 啓介師

使徒20:31~35

500年間、働き(会社)が存在することは大変なことである。私たちの身近にある羊羹の「とらや」がそれである。秘訣は「変えるべきこと」と「変えてはならぬこと」がはっきりとしている点だという。驚くべきことに変えるものは「味」であり、変えてはならぬことは「感謝」であるという。変えてはならないことが「感謝」である点は私たちも同じである。状況や環境によらず「感謝」の心を持ち続けなくてはならない。いつも神に感謝し、人に感謝する。神と隣人を愛することは、人を活かすこと。それは結局、自分を活かすことにつながる。この時代の中にあって「変えるべきこと」「変えてはならぬこと」を間違わないようにしたい。

 

9月30日(日)

「一人一人のパトモス島」渡邊ミドリ師

黙示録1:9~10

苦難、忍耐をヨハネに思う。仲間達を天に送り一人地上に残されたヨハネ。迫害の中での死が殉教とのイメージが強い。しかし、この地上に残されること、生という生かされていることも「殉教」の一つである。この地上で苦難に耐えること、忍耐することの力は何処に求めるのか。それは、天国への希望です。この絶対的な希望を生きる中心にしなくてはならない。聖霊に包まれて、祈りの手、福音の足となろう。

 

9月23日(日)

「それぞれの能力に応じて」渡邊ミドリ

マタイ25:14~30

霊的な成長を私たちは、真剣に求めるべきである。各人には様々なタラントが,能力に応じて主から与えられている。そのことをまず感謝しよう。そして主との霊的な交わりの中で、働きの質を深めること、従順に従うこと、主の命令を守る、このことがタラントを忠実に管理することである。成長は、他者との比較からは絶対に生まれないこと、主の導き以外にタラントは活かされないことを憶えよう。

 

9月16日(日)

「イエスさまからのシンプルな人生訓ー山上の説教ー」渡邊真太郎師

マタイ5章1~3節

人は見えるものに左右されやすいが、イエス様は見えないもの「永遠の世界」を示す。イエス様の時代、イスラエルはローマ帝国の属国であった。民衆は税金や極貧の中で、明日の希望もなく暮らしていた。人々は、せめて心が満たされたい、と思っていた。世的な幸福の価値とは無縁な人々だからこそ、永遠の世界に価値を求めることが出来た。この世と調子を合わせる事が出来ない、ものごい状態に置かれた彼らこそ、神に近い幸いな人達であった。何が良いことで、神様に受け入れられるのか、主にあり心の一新によって、自分を変えることが大切である(ロマ12:2)。

 

9月9日(日)

「実を結ぶ人」渡邊ミドリ師

ルカ13章5~9節

 

9月2日(日)

「主の弟子となる」渡邊ミドリ師

マタイ4:17~20

クリスチャンになるということは決断ではなく、みことばに応答することである。主のご用にたつためには3つのことが大事である。①持っているもの捨てる(主にあって捨てるとき、主は別に素晴らしいものを用意して下さっている)。②信じ切る(あやふやな所をなくし、態度を正す)。③召しに従う(主は具体的に、みことばで導かれる。みことばが示され、聖霊の導きを感じたら素直に従う。みことばに従うことは、何よりも確かな安全なこと)。ペテロとアンデレは漁師であったが、イエス様に従ったとき、彼らの手には福音という餌があり、人々はそれに食いついた。限られたガリラヤ湖畔から全土が福音で満たされた湖となり、主が言われたとおり、魚から人をとる漁師に変えられたのである。

 

8月26日(日)

「キリストの証人となる」渡邊ミドリ師

ルカ24:22~48、使徒1:8

私たちは、主のために何をしたらよいのでしょうか。主のご命令(福音の宣教)をはっきりと意識し行うことです。それが祝福につながるのです。聖書を悟らせるためにイエス様は、私たちの心を開いてくれます。イエス様は、常に聖書のみことばを用いました。私たちも聖書から知恵をいただこう。日々、みことばに即した行動を心がけ、自分に起きたことの証しが出来るように、主に与えられた今の時を活かすようにしよう。十字架と復活の証人として、福音を宣べ伝えよう、福音で地域が満たされるために。

 

8月19日(日)

「成長を目指して」渡邊ミドリ師

霊的仁鈍くては、成長することが出来ない。いつまでたっても幼いままである。霊的に成長するためには、まず「みことば」を読むことが必要。霊的な力の源は「みことば」である。読み続けることによって霊的な感覚が鋭くなり「みことば」から知恵と力が与えられる。各人がなすべきことは、何よりも先に、みことばを通して神さまとの交わること。みことばに立つ生活の中で霊的な体験、実践も経験する。善と悪が共にある世、誘惑だらけの社会にあって、みことばに立つ一貫した歩み、そこにこそ成長がある。

 

8月12日(日)

「信仰の四段階」渡邊ミドリ師

ヨシュア記1章1~9節

モーセからヨシュアへの世代交代が始まる。ヨシュアの徹底した従順さは、本物の信仰者を感じる。ヨシュアだからこそ、モーセが目指したカナンに、彼は入ることが出来たのである。みことばに徹底して従うことから、信仰の成長する四段階が始まる。みことばに「立つ」、世を「渡る」、ヴィジョンに向かって「行く」「主にある者は一人ではない、信仰者は主にあって我ら」である。

 

8月5日(日)
「本当の弟子となるために」渡邊ミドリ師

ヨハネ6章59~61節
「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です ヨハネ8.31」

徹底した弟子となれないのは、みことば、みこころを受け入れる備えがないからです。「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益もたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊でありまた命です。ヨハネ6.63」永遠の命、十字架と救い、復活から目を離さないため、サタンに打ち勝つためにも、日々、みことばとともに歩みたい。聖餐式のあるのはいつもそのことを覚えるためです。

 

7月29日(日)

「主イエスを信じることの意味」渡邊ミドリ師

ヨハネ6章22~33節

私たちは、神の業を行うために、何をすべきでしょうか。まず、みことば(礼拝でのメッセージや毎日のディボーション)を通して示される神様からのヴィジョンを真剣に求め聴くこと。次に、注意して物事を見て、深く意味を考え、祈ることです。主イエスを信じることは、永遠のいのちに至ること。私たちは朽ちる肉の食物ではなく、上から遣わされた霊的な朽ちない命のパン(主イエス)を、まず求めるべきです。それが主イエスを信じることの意味です。

 

7月22日(日)
「新しいこと」渡邊ミドリ師
イザヤ書35章1~10節
献堂式が終わったいま、主の前にどのように進むのか。主は私たちに・・・1)新しい霊性を下さる。2).新しい道を示して下さる。3)新しい喜びを下さる。(感謝)喜びは信仰であり賛美である。贖われた者として、主を信じ主の導きに応答する者、聞くだけではなく具体的に行動する者でありたい。

 

7月15日(日)

「牧会的な勧め」渡邊ミドリ師

Ⅰテサロニケ5章11~28節

日常の中で様々な事が起こる中、主の恵みを覚え何よりも「喜び」「祈り」「感謝」を持つものでありたい。

失敗したり、思い通りにいかなくても みことばに立ち、主を見上げ感謝するものでありたい。

 

7月8日(日)

「主は見捨てない」奥山 実師

ヘブル人への手紙 13章5節

金銭を儲ける事を目的にしてはならない。お金は神さまのために用いてゆく、主に従うための優先順位を間違えないように。主のために献身し歩む時、神さまは備え導いてくれる。神さまは必ず愛してくれるし、私たちから離れず、捨てない

 

7月1日(日)

「喜びの祭典」渡邊ミドリ師

ネヘミヤ 12章27~47節

献堂式を土曜日に控え、信徒一人一人に備え(きよめ)の必要を聖書から学ぶ。また、神さまがして下さった

いままでの奇跡(会堂建築)を思い、心から感謝して献堂式を迎えたい。

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