2015年のメッセージ

主に仕えていくために/渡邊ミドリ師
IIテサロニケ1章1~12節
 この箇所の中心は「感謝」です。感謝するということを忘れてはなりません。それはクリスチャンとしての義務なのです。神に感謝する信仰によって何を得ることができるでしょうか。一つは、信仰の成長です。主は忠実な者に信仰の賜物を与え、一人一人のうちに豊かに働いてくださいます。二つ目は本当の愛です。本当のクリスチャンは真の愛を持つことができるのです。そういう愛は教会という集合体を霊的に高め、揺るがないものにします。三つ目は、従順です。迫害や艱難があっても、神の前での約束は守らなければなりません。どのような時にも、主に感謝する信仰を持ち続けましょう。
(2015.12.27)

 

見よ、東方の博士たち/奥山実師
マタイ2章1~6節
 聖書の真理は神100、人間100なのです。神がすべてであると同時に、すべての責任は人にあります。救いが選びであるとしても、伝道は絶対に必要なのです。
 博士たちは東方から命がけでイエス様を拝むためにやって来ました。人間の本分は神を礼拝することです。救われたらすぐに公同の礼拝に参加することが大切なのです。この箇所は、ギリシャ語では「東」が複数になっています。これはやがて多くの異教徒が救われ続々とエルサレムに来るという預言でもあるのです。すべての人が主を賛美する時が来ます。クリスマスはまさにその前味です。このクリスマスの時に多くの人に福音を述べ伝え、一緒にエルサレムに帰還できるようにしていきたいと思います。
(2015.12.20 クリスマス礼拝)

 

神と人のつながり/渡邊ミドリ師
ルカ1章26~37節
 クリスマスから私たちが教えられることは、父なる神、子なるイエス、聖霊が一つになって働いているということです。父なる神は人類の救いを実現するため、御使いガブリエルをマリアの所に遣わしました。主イエスは永遠の王となられる方であり、人となり、優れた聖なる方となられました。聖霊なる神は御父の御計画を、御子イエスを通して実行するために、人の中に来られました。そして人であるマリアは、信仰をもってそれを受け入れます。こうして神ご自身と人とのつながりの中でこの壮大な御業が成されたのです。私たちは、自分とその周囲、また世界にとってそれがどんな意味をもっているのかを考え、多くの貧しい国や、まだ救いを知らない人たちのために用いられるよう祈っていきたいと思います。
(2015.12.13)

 

教会(神の宮)の中心に置くもの/渡邊ミドリ師
I列王記7章1~2、13~22節
 この箇所から教えられることは、クリスチャンとしての礼拝の姿勢です。第一に、礼拝には三位一体が必要です。それは、教会に来ること、礼拝すること、そして自分の信仰が一つであることです。主にあってきちんと礼拝をするならば、様々な奉仕も喜んですることができます。礼拝への心構えこそが最も大切なのです。第二に、キリスト者の信仰を建設されているのは主であるということです。欠けた所があれば建て直してくださいます。この世の知恵があっても意味はありません。神からくる知恵を求めるべきなのです。私たちは会堂の扉を開くたび、主にお会いするのです。そして最終的に開くのは、御国の扉です。御言葉で養われ、主の道を歩みましょう。
(2015.12.6)

 

福音の真理/渡邊ミドリ師
I列王記6章14、21~38節
 神の求めに対し、私たちはどのように信仰を表明していけばよいでしょうか。第一に、教会は神の臨在と栄光をあらわしている所であるということをしっかり知ることです。礼拝にあずかる時も、御言葉に集中し、神と顔を合わせていくことが大切です。第二に、福音の真理を伝えることに力を入れていくということです。至聖所と内堂の間の隔ての幕は、イエス様の死の瞬間に裂け、それ以来、私たちは主の前に自由に出入りすることができるようになりました。その特権と恵みをどんな場所においても語るというのはとても大事なことです。私たち自身が神の神殿であり、内に神の霊が宿っているのだということを覚えていただきたいと思います。
(2015.11.29)

 

最良のものを捧げる/渡邊ミドリ師
I列王記6章1、11~14節
 主の御計画に応じる信仰とはどんなものでしょうか。それは、自分の生活を整え、その中心に神を置くことです。神殿・教会は、私たちの献身の場です。ソロモンの神殿建設は、イスラエル史上に残る大事業でした。私たちの人生の大事業は、自分自身を主に捧げていくことです。難しいことは何もありません。信じ、祈るだけでいいのです。難しくしているのは、私たちの罪であり、欲望です。神は主の御業を行おうとする者を励まし、勇気付け、御声をかけてくださいます。たとえ悲しみがあっても、主がこれを喜びに変えてくださることを期待しましょう。主にとってできないことは何もないのです。
(2015.11.22)

 

神殿(教会)の意義/渡邊ミドリ師
I列王記5章1~18節
 なぜ私たちには神の宮、教会が必要なのでしょうか。それは、教会が主イエス・キリストの臨在をあらわし、平和が保たれる場所であるからです。ソロモンは非常に穏やかな性格であり、それが周囲に平和を呼び、喜びを与えました。ソロモンと、ダビデの友であったツロの王ヒラムは、お互いに必要を満たし合い、助け合いました。教会に必要なものは一致です。一致があるところには必ず平和があります。霊的に一致すれば、様々な問題が解決し、祝福が与えられ、主の栄光をあらわす器となることができるのです。また、霊的な自分の宮を持つということも大切です。家の中にあっても、主と語り合う時間を持ちましょう。
(2015.11.15)

 

主の聖徒達/渡邊ミドリ師
I列王記4章7、20~34節
 この箇所にはソロモンの治世の繁栄が記されています。ここから学ぶべきことの一つは、教会が果たすべき自分の責任です。所属する教会の中で、献金などの責務を果たさなければなりません。惜しみない捧げ物をすることにより、神が経済的にも霊的にも教会を助けてくださるのです。もう一つは、神の武具を身に着けるということです。ソロモンは平和の時にも戦いの備えをしていました。幸せな時には油断が生まれ、そこから崩壊が始まります。むしろ調子の良い時にこそ、神の武具で心をガードする必要があるのです。私たちはこの世に属する限り、罪とサタンを敵として戦い続けなければなりません。ですから再臨の主、裁き主を待ち望む聖徒として、日々の生活の中で自分を点検して歩んでいきましょう。
(2015.11.8)


重用された人達/渡邊ミドリ師
I列王記4章1~6節
 ソロモンを支えたのは彼の知恵だけではありません。良い側近に恵まれたのです。現代の私たちにおいても、教会を守って牧会を支える人はみな側近なのです。主のための良い側近と呼ばれるには、どうしたらよいでしょうか。第一に、影の功労者であることを喜ぶことです。目立たないことでも、主は気付いておられます。ここに挙げられている側近のほとんどは、ダビデの時代から重鎮として仕えてきた人たちです。中でもナタンは、自分の子どもたちを主にお返しし、信仰を継承させています。第二に、教会の幸せを求めるだけではなく、まず神の祝福を求めることです。そしてその教えを実行しましょう。そうすれば幸せは後からついてくるのです。
(2015.11.1)


所有の民と呼ばれる主/渡邊ミドリ師
申命記4章1~14、20節
 イスラエルの民が約束の地に入る前、神が命じられたことがありました。その三千五百年前の命令と、いま私たちに与えられている命令は同じです。それは、神の御言葉を聞くことです。私たちは人の言葉を聞いて物事を解決しようとしがちです。神の命令と掟と定めとを守り行わなければならない、という御言葉に聞き従いましょう。神は難しいことは要求されません。そして私たちのすぐ近くにいてくださいます。神が私たちを所有の民と呼んでくださることは大変な栄誉であり、御手の中にいるということは本当の安心をもたらします。このような特権をもっと喜び感謝し、感動をもって過ごしていきたいと思います。
(2015.10.25)


神からくる知恵/渡邊ミドリ師
I列王記3章16~28節
 神様の御心にかなった祈りは必ず成ります。私たちもソロモンのように知恵を求めることです。それは学問的なことではなく、御国からのメッセージです。神からくる知恵が他の知恵と違うのは、善悪を見分ける力を持っているということです。ソロモンは神から与えられた知恵を働かせる機会にあい、難題を見事に解決しました。彼は、ふたりの女のうち、真実の母親のほうに強い母性愛を見出し、正しい判定をくだしたのです。ソロモンの判断は多くの人の心を動かしました。神の知恵は、難しいことではなく実際的なものです。身近なところに神様が働かれるのだということに、私たちは確信を持ちたいと思います。
(2015.10.18)


あなたに何を与えようか/渡邊ミドリ師
I列王記3章1~15節
 この箇所で教えられることの一つは、この世に迎合してはならないということです。ソロモンは高き所で礼拝し、王国の平和と安全のために結婚を利用しました。人間的方法は堕落に早く、罪を蔓延させ大きな危険を生むのです。もう一つ、最も重要なことは、自分が何を主のためにできるかということです。彼が捧げたおびただしいいけにえは、彼の献身の現れでした。主は熱心な人も信仰が低迷している人も、分け隔てなく大きな愛で包んでくださいます。ソロモンは、イスラエルを導くための知恵を求めました。私たちが主の仕事をするためには神の知恵が必要です。一人一人が遣わされた場所で、それぞれの使命を与えられているということに確信を持って行動したいと思います。
(2015.10.11)


信仰は実を見て判断する/渡邊ミドリ師
I列王記2章12~25節
 神の命令と掟と定めとを守り行いなさい──これは、神が繰り返し言われている御言葉です。なぜ私たちはそれに従えないのでしょうか。第一に、不信仰は試練の時よりも平和なときになりやすいのです。ダビデが最期の言葉としてソロモンに神に従えと強く言ったのも、若くして栄耀栄華を手にすることが、どんな試練よりも危険であることを伝えたかったからです。第二に、真の信仰は、その信仰の実を見て判断するということです。一度は謀反を赦されながらも、王位を欲する野心を持ち続けたアドニヤに、ソロモンは死をもって報います。見せかけの信仰や忠義心が、大きな危険を生むのです。心からの悔い改めは、その後の信仰の実でわかります。自分のやりたいことを優先するのではなく、神に従い宣教の業にはげめば、必ず大きな祝福がもたらされるのです。
(2015.10.4)


新しいいのちの始まり/渡邊ミドリ師
コロサイ3章1~4節
 クリスチャンにとって死とは何でしょうか。第一に、新しい命の始まりであるということです。私たちは救われる前、罪の支配下にあり、地上にあることだけを思っていました。イエス様を信じ新生すると、生活の基礎が変わり、天上のものを求め、御言葉によって証しある生活をしようとするようになります。それは、過去の自分に死に、すべての罪の縄目から解放されるからなのです。第二に、死は復活したイエス様と私たちが生きるための手段の一つだということです。新しい命は、イエス様だけが与えられるものです。死んでもまた生きることのできる希望のある私たちには、もはやこの世で恐れることは何ひとつないのです。
(2015.9.27)


主の道を歩む/渡邊ミドリ師
I列王記2章1~12節
 ダビデは後継者ソロモンに主の道を全うせよと遺言を残します。それは、第一に、強く、男らしくあれ、すなわち、神を恐れ、神に対して従順でありなさいということです。第二に、神に真実を尽くすということです。律法を守るということは決して不自由ではありません。そして、ヨアブとシムイに対する死の宣告、バルジライへの優遇も託します。ダビデは元気な時には、自らそれをしませんでしたが、彼らの行いが清算される時が来たのです。ソロモンは後に道を踏み外しましたが、伝道者の書の最後では、ダビデと同じように、神を恐れ神の命令を守ることがすべてであるという結論に達しています。真実をもって神の戒めを守れば、私たちが望む幸いも繁栄も得ることができるのです。
(2015.9.20)


正しい判断と行動/渡邊ミドリ師
I列王記1章32~53節
 この世の人間関係を解きほぐすのは大変難しいことです。しかし、幸いな解決があるということを、ダビデを通して学ぶことができます。ダビデはアドニヤの謀反を知ったとき、状況を正しく判断し、行動しました。神の御心を行うことをためらわなかったのです。良い信仰者を呼び集め、ソロモンに王位を継がせるという約束を冷静に実行しました。正しい言葉というのは人を動かします。信仰者は頼もしくあるべきです。ダビデの中にも強さ、優しさ、尊敬できる人間性が養われていました。彼は多くの失敗、大きな過ちを犯しましたが、年老いても主を礼拝し続けたのです。私たちもダビデの信仰に学びたいと思います。
(2015.9.13)


聴く耳、聴く心/渡邊ミドリ師
I列王記1章15~31節
 この箇所でダビデから教えられることは、クリスチャンとしての死の備えです。彼の晩年の孤独は、彼の弱さがもたらしたものでしたが、私たちの信じる主イエスは、誰もが弱さを持っているということをよくご存知です。私たちが自分の弱さに気付かされたとき、問題を解決するために必要なことは何でしょうか。聴く耳、聴く心を持つことです。御言葉に頼り、俊敏に飛びつく人は立ち返りが早いのです。ダビデに預言者ナタンが進言したように、神は必ず助け手を与えてくださいます。孤独のままにはさせておかないのです。神の御言葉は、支配者を立ち返らせることができます。私たちにも、国や政治家のために祈ることは可能なのです。
(2015.9.6)


内側にある敵/渡邊ミドリ師
I列王記1章1~14節
 イスラエル崩壊の本当の要因は、内部の敵、すなわち私たちの心の内側にある罪によるものでした。このことは教会、そして個人の信仰に対する警告です。栄耀栄華を極めたダビデも、孤独な老人となりました。それはダビデの家庭崩壊の結果です。彼は素晴らしい王でありながら、父として大切な義務を怠ったのです。私たちが警告として受け止めなければならないのは、主の約束を忘れるなということです。主の約束は必ず成るのです。父に背くアドニヤのもとには、彼同様、神不在の信仰のない者たちが集まります。しかし神は、ソロモンを後継者にするという約束を成就されます。神はアドニヤの悪しき計画を用い、ソロモンの王位継承を早められました。神のなさることは時にかなって美しいのです。
(2015.8.30)


安心して行きなさい「あなたの信仰があなたを救ったのです」/渡邊ミドリ師
ルカ7章36~50節
 イエス様が人と会うときの目的は、人が罪に気づき、悔い改めて導かれ、イエス様を救い主として受け入れることです。ここには特権階級のパリサイ人と罪深い女という、対照的な2人の人物が登場します。イエス様は金貸しのたとえを通して、愛とは何かということを教えられました。多く許されたほうが、多く主を愛し仕えるということです。愛したことによって許されるのではありません。信仰によってイエス様に許され、私たちの内に愛が生まれるのです。私たちの愛はもろく冷めやすいですが、イエス様の愛は変わりません。私たちはすべての生活の中で、安心して行きなさい、という御言葉を信じて歩みたいと思います。
(2015.8.23)


多くの人を生かすために/渡邊ミドリ師
創世記50章12~26節
 ヨセフはイエス・キリストの型であると言われています。彼は自分を売った兄たちを憎まず、彼らを許します。それはキリストの十字架の愛と許しを思わせます。ヨセフはこの章で2回涙を流しています。ここから、2つのことを教えられたいと思います。第一に、ヨセフの涙は多くの人を生かす涙でした。それは許しの涙なのです。第二に、信仰者に恐れがあってはならないということです。本当に自分の信仰に確信があるなら、恐れはないのです。ヤコブが死んだ時、兄たちはヨセフの復讐を恐れました。ヨセフは兄たちの不信仰に対する憐れみ、悲しみの涙を流しました。恐れはサタンの業です。私たちは十字架によって完全に罪から解放されています。死さえも私たちにとって恐れではないのです。
(2015.8.16)


これが祝福された道/渡邊ミドリ師
創世記11章27~32節、12章1~9節
 私たちはアブラハムから、試練を通して与えられる祝福の道を教えられたいと思います。彼の信仰はどのようなものだったのでしょうか、第一に、神の御言葉を「信じ切った」ということです。神は父の家を出るようにとアブラハムに言いました。神の目的は、彼がすべての国民の信仰の父となることにありました。命令と同時に、祝福の約束もしてくださったのです。それを信じきる信仰にはサタンは付け入ることができません。第二に「従い通した」ということです。彼は主がお告げになったとおりに出発し、移動し、旅を続けました。カナンに思いもかけず先住民がいたときも、失望せずに従い続けたのです。私たちもそのような信仰を持って、主に仕えていきたいと思います。
(2015.8.9)


試練がもたらす宝~いのちの冠/渡邊真太郎師
ヤコブ1章12節
 祝福を増やすには、試練に耐え抜いて、主からの品質保証を得ていく必要があります。耐え抜いて与えられる「いのちの冠」とは、イエス様を信じることでただで与えられる永遠の命のことではありません。忍耐によって得られた品性に対する特別な祝福のことです。患難は、私たちを純化させ輝かせるためのツールです。この栄光ある冠は、他人との比較で得るものではなく神との関係によるものです。冠はいらないので試練を減らしてほしいという考えは、霊的無気力です。将来天で与えられる祝福は、私たちには考えられないほどのものです。そこから溢れるたった一滴の祝福でも、どれだけ大きな力をこの世に及ぼすでしょうか。その栄光に比べれば、今の試練はとても釣り合わないほど小さなことなのです。
(2015.8.2)


イサクの神さま、イシュマエルの神さま/宋徳煥師
創世記16章7~16節
 アブラハムは妻サライのしもべハガルを通してイシュマエルを持つという人間的な解決を選択します。これは信仰の失敗です。サライによって追い出されたハガルは荒野をさまよいます。悲嘆に暮れ涙するハガルに御使いが現れます。彼女が主を見つけたのではなく、主が彼女を見つけたのです。常に神様が先に動かれるのです。私たちが知っている神様というのは、アブラハム、イサク、ヤコブの神様です。ハガルの子イシュマエルは約束を受けていません。しかし神は、ハガルをも祝福されるのです。救い主イエス・キリストがイサクの家系から生まれるという違いはありますが、イサクは祝福され、イシュマエルは捨てられたと考えるのは間違いです。神様はイサクもイシュマエルも愛しておられます。私たちも隔てなく、同じ愛をもって皆と愛し合いましょう。
(2015.7.26)


人生の晩秋/渡邊ミドリ師
詩篇119篇169~176節
 ここでは、老いても若いときの勢いを失わない信仰をどのように持ち続けるかを学んでいきたいと思います。第一に、自分の祈りを追いかけるということを心がけましょう。必ず切なる思いが届くようにと願い、神の御心をうかがい続け、祈りを投げ出さないことが大切です。第二に、賛美をたやさないということです。追い詰められ祈れなくなったときでも、賛美をもって自分を慰め、力づけていくのです。最も大切なのは、賛美と御言葉が人生の基本となることなのです。第三に、自分が迷子の羊のようであるということを知ることです。私たちがいつも迷い出る者であることをご存知である主は、その時に必ず答えを与えてくださいます。そのことを確信し、いつも私を探してくださいと祈りましょう。
(2015.7.19)


主はみことばを完全に、しかも敏速に地上に成し遂げられる/西山真師
ローマ9章28節
 神様の御心がどのように実現していくのかを学びましょう。第一に、異邦人に対する御心です。神はユダヤ人だけでなく異邦人にも御恵みを与え、全世界が救われるようにしてくださいました。神のご計画は、私たちの思いをはるかに超え、大きな歴史の中で実現されるのです。第二に、イスラエルに対する御心です。神の選びと召命は変わることがありません。多くの者が背いても、神は少数の残りの民を必ず保たれ、彼らを通してお救いくださるのです。第三に、主に信頼することです。自分の無力さを思い、神の力によって強くされることを求め、救いを受け入れることが信仰の道なのです。完全なご計画をもって導いておられる神様にすべてをお委ねするのが最善の選択です。
(2015.7.12)


わたしは日に何度も主をほめたたえます/渡邊ミドリ師
詩篇119篇161~168節
 ここは、雲間から青空が顔を出すような爽やかな喜びの祈りです。このような信仰に到達するためには、まず、救われた結果得るのは喜びだということを知ることです。永遠の命に至る道をいただいたことに勝る喜びはありません。これにより、災いと見えることさえも乗り切ることができるのです。苦しみも主の御手であり、マイナスではないと知る者には、考えられない祝福が来ます。大きな獲物を見つけた者のように御言葉を喜ぶことができるのです。そして、本当の正義感を持つことです。それは苦しいことがあっても主を褒め称える信仰です。私たちが御言葉を優先する毎日を送り、日に何度も主を褒め称えることを実践するクリスチャンになったなら、本当に大きな祝福を受けることができるのです。
(2015.7.5)


主は決めておられます/渡邊ミドリ師
詩篇119篇153~160節
 この箇所では、祈りが切羽詰まった状態から沈静化しています。どのような霊的変化があり、私たちはそこから何を悟ることができるのでしょうか。第一に、確信です。様々な試練が私たちに迫りますが、祈りを通してそれが必ず解決するという確信をもつことができるのです。第二に、あわれみの重さに気づくことです。神は私たちの切実な叫びを聞き、御翼のかげにかくまうようにあわれんでくださいます。第三に、神の御心を求めていくようになるということです。早く願いを聞いて欲しいと主を急かすのは、成長しない祈りなのです。第四に、御言葉は永遠につながっていくことを明確に知るようになるということです。私たちは、永遠である方についていく主の勇士なのだということを忘れないようにしましょう。
(2015.6.28)


他に救いはあるのでしょうか/渡邊ミドリ師
詩篇119篇145~152節
 私たちにとって一番強い武器は祈りです。私たちを救うものは祈り以外にないのです。主が耳を傾けてくださる祈りとはどんなものでしょうか。第一に、心を沸騰させる祈りです。大変な時だけでなく、習慣的に心を尽くして主を呼びましょう。一方的な願いばかりでなく、自分も誓約をすべきです。第二に、ディボーションを守るということです。主がいつもともにいてくださるという確信を持つためにも、個人的な祈りの時間を主に捧げることが大切です。祈りは神を近くにし、悪しき者を遠ざけます。たとえ悪いことが起こっても、神が近くにいてくだされば、私たちは必ず勝利することができるのです。
(2015.6.21)


神の正義への熱心/渡邊ミドリ師
詩篇119篇137~144節
 ここで語られている正義とは、第一に、神様の存在を信じることです。神様の存在そのものが正義なのです。その存在を確信することです。疑いを持たずに祈れば、どんな問題も解決します。第二に、神様の行為は正しいということです。私たちが失敗するのは、御言葉よりも自分の考えを優先するからです。御言葉に従うことほど簡単な解決はありません。どのようなこともすべては神様からくるのですから、結果が悪くなることは絶対にないのです。第三に、神様の言われることは守るということです。自分の敵は自分の中に住んでいます。人生を喜んで主に捧げることにより、悟りを得ることができます。御言葉に毎日親しみ歩んでいけば、サタンが近づくことは決してできないのです。
(2015.6.14)


みことばの戸が開くと、光が差しこむ/渡邊ミドリ師
詩篇119篇129~136節
 この箇所から教えられることは、御言葉の醍醐味を知ることです。御言葉には、聞くだけではなく実際に行動させる力があります。また、主に信頼する喜びが与えられます。そのような醍醐味を知るためには、御言葉を求める熱意が必要です。同じ御言葉でも、熱心に聞き力をたくわえようとする人と、いいかげんな信仰で聞き流してしまう人がいます。道を踏み外さないよう神に支配していただくことが大切です。多くのクリスチャンが歴史の中で犠牲となって死に、その上に今の私たちの信仰があります。平和の中で気を緩ませることなく、頭で理解するだけでなく、本当に心から主に従うクリスチャンとなりましょう。
(2015.6.7)


助け主、慰め主なる聖霊/渡邊ミドリ師
ヨハネ16章7~14節
 イエス様は何故、自分が去ることは益であると仰ったのでしょうか。第一に、助け主である聖霊が、どこでも私たちと共におられるようになるからです。イエス様が人としておられた時は制限がありましたが、聖霊にはありません。自由に私たちに内住し、助けてくださるのです。第二に、聖霊は私たちの弁護者だということです。イエス様は天上において私たちをご覧になり、道を踏み外しそうになった時には父なる神にとりなしてくださるのです。第三に、サタンへのさばきです。サタンは何とかして私たちを神から引き離そうとしますが、復活によって悪魔の砦は崩れました。復活への信仰は、サタンの働きに対する恐れを取り去ります。イエス様が、助け主、慰め主として私たちと共におられるという確信こそが、聖霊の臨在を明らかにしていくのです。
(2015.5.31)


教会の誕生/渡邊ミドリ師
使徒2章1~13節
 ペンテコステにより、一体どんな変化が起こったのでしょうか。第一に、聖霊は信仰者を力づけ、大胆な人に変えます。今日に至るまで教会に導かれ洗礼を受けた人々は、この聖霊の力をいただいているのです。この世に負け醜い感情を抱きそうになった時には、聖霊がそれを教えてくださいます。第二に、聖霊降臨はこの後、全世界に影響を与えます。人が一致できない大きな要因に言語の問題がありますが、聖霊の働きは言語の壁を克服しました。第三に、人間は信じる側、信じない側の二つのグループに分かれるということです。超自然的な出来事を見ても、信じない人はいるのです。私たちはそれをあきらめず宣教の業に励み、聖霊の臨在を確信して歩んでいくことのできる信仰者となりましょう。
(2015.5.24 ペンテコステ礼拝)


今こそ主が事をなさる時です/渡邊ミドリ師
詩篇119篇121~128節
 私たちは、自分が公正と義を行っていると言えるでしょうか。ここで教えられたいことは、第一に、神を自分の保証人とするということです。神が保証人になるほど強いものはありません。私たちは神の前には一人の罪人にすぎませんが、人間関係においてはクリスチャンに相応しい毅然とした態度で、この世になびかず妥協しない者となるべきです。この世は正義が必ずまかり通る世界ではありません。そんな中でも、自分は正義を行ったと言い切れる信仰者となりたいと思います。第二に、御言葉が正しいということは必ず証明されると信じることです。この世に絶対といえることはありませんが、唯一絶対なのは神の御言葉です。世界中のどんな富よりも御言葉は尊いものであるということを確信できる特権を喜びたいと思います。
(2015.5.17)


母の祈り/渡邊ミドリ師
Iサムエル1章1~18節
 ここに書かれているハンナの祈りは、男女問わず模範的な祈りの姿です。この時のハンナは、苦しみと悩みで押し潰されるようなどん底の状態にありました。しかし、どんな悪いこと悲しいことがあったとしても、すべては天地万物の創造主の摂理の中にあるのです。苦難の時にはまず第一に、神の前に出ることです。ハンナは誰も責めることなく身を低くして、主の前に癒しを求めました。第二に、祈りは答えられると確信することです。主はハンナの祈りに答え、サムエルという一人の男の子を与えられました。神のなさることは時にかなって美しいのです。いま苦しいことがあったとしても、主は必ずその摂理の中で動いているということを覚えてください。
(2015.5.10 母の日礼拝)


信仰の定義/渡邊ミドリ師
ヘブル10章39節~11章6節
 この箇所のテーマは、信仰の定義です。信仰とは何でしょうか。第一に、神の約束を、しっかりと見て信じることです。ヘブル書では一貫して、神の御子イエス・キリストの、完成し類のない卓越した救いを紹介しています。イエス・キリストから目を離さないことにより、すべての誘惑に打ち勝つことができるのです。イエス様にお会いするには、聖書しかありません。目に見えないものを確信するのが信仰なのです。第二に、神に近づくことを喜びとするということです。私たちは栄光の輝きである主イエス・キリストを信じているという特権と名誉にあずかっています。そのことを覚え、見えない神の証明者、証言者となりましょう。
(2015.5.3)


神の国は来ている/奥山実師
ルカ11章20節
 イエス様が御業をなさっているところに、神の国は来ています。サタンの支配は砕かれて、神の支配が来るのです。イエス様の御業の中で最も大事なのは伝道です。それは人をサタンの支配から神の支配に移すからです。伝道している教会は、神の栄光を現して皆いきいきとし、成長します。伝道は聖霊様の働きです。聖霊様のお役目は、イエス様の開かれた唯一の救いの道を世界中に広めることです。聖霊がくだると、私たちはまず力を受けてイエス様の証人として用いられます。証人となってから、それぞれの使命へとおもむくのです。どうぞ、伝道に励んでください。あなたご自身を通して神の栄光が現され、神の国が来るのです。
(2015.4.26 30周年記念礼拝)


二心の者から離れよ/渡邊ミドリ師
詩篇119篇113~120節
 あなたは自分に二心がないと言い切れるでしょうか。教会の中での生活と、一歩外へ出た時の生活が、何も変わらないと断言するのは難しいことです。何を優先していけば良いかを知ることが大切です。そのためには第一に、神の助けを求めに行くことです。問題が起こるのは主にすがらないからです。主に仕えれば絶対に守り助けられます。第二に、正しい決断は御言葉に頼むことです。御言葉と祈りによって決断すれば、間違えることがありません。試練の後に主に依り頼むならば、御言葉の真実を知ることができます。悪いと見えることが良いものになるという結果は、御言葉に従った人が手に入れるものです。神が必ず答えをくださいます。そのことを確信することです。
(2015.4.19)


み言葉は私の足のともしび私の道の光/渡邊ミドリ師
詩篇119篇105~112節
 聖書は私たちの人生のガイダンス、案内人です。憐れみ深い神の御手に自分の人生をゆだねれば、主は答えてくださいます。苦しくても主を賛美することにより、慰められ、力を得ることができるのです。聖書は私たちに道を示し、私たちを守ってくださいます。人生は荒野であり茨です。御言葉を食べないと、飢餓状態になります。私たちを御言葉から遠ざけるのはサタンの力です。神様の示される道を選んでこそ、私たちは自分の期待した以上の祝福を得ることができるのです。聖書は私たちを喜ばせます。罪赦されることこそ真の喜びです。御言葉を読むだけ、聞くだけではなく、喜んで心から行うことが大切なのです。
(2015.4.12)


復活祭:死からの勝利/渡邊ミドリ師
マタイ28章1~10節
 この箇所には、人類史上最も大切なことが二つ記されています。一つ目は、十字架です。十字架は、罪ある私たちを神の御許に導くためのものでした。人間は自らの努力で救われることはできません。神から差し伸べられる救い以外はないのです。二つ目は、復活です。死は主イエスを支配することができませんでした。私たちを死と罪の縄目から解き放ってくださったのは、復活の力なのです。主イエスは、死と陰府を今でも支配しておられます。私たちは、主を知らない時は死を恐れていました。しかし今では、死後の世界にも希望を持つことができるのです。私たちはこの復活を心から喜び、宣教の業に励みたいと思います。
(2015.4.5 イースター礼拝)

 

神のみことばを愛し偽りの道を憎みます/渡邊ミドリ師
詩篇119篇97~104節
 クリスチャンの幸せとは何でしょうか。第一に、聖なる幸いを知るということです。それは、聖書の御言葉を愛するということです。一日中、神の御教えによって生きることこそが幸せなのです。現在、私たちは聖書を通してしかイエス様にお会いすることはできません。それによって御言葉で養われ、何が起こっても受け止めることができるようになるのです。第二に、人生を賢くし、悟りを持ち、わきまえを持つということです。神を信じれば、主がそのように導いてくださいます。心から御言葉を愛する者は、悪の道、神の御心にそぐわない道に対して、ブレーキをかけることができるということを覚えましょう。
(2015.3.29)


すべてのものは神のしもべです/渡邊ミドリ師
詩篇119篇89~96節
 私たちには二つの道があります。一つは、この世界が何の意味も目的もなくただ存在しているだけだと思う道、もう一つは、神の永遠からの定めによって営まれていると信じる道です。前者を選択した人は、いつも不確かな世界にいます。後者を選択した人は、永遠から定められている選びの中にあります。神は天地のもといをおかれる前から私たちを選んだのだということを、しっかりと心に留めてください。そして、この地上で起こる様々なことを、主から出たこととして受け止めなければなりません。私たちはすべてには終わりがあるということを知っています。だからこそ自分たちが永遠の選びの中にあるということを覚えたいと思います。私たちの神は決して遠くはないのです。
(2015.3.22)


危機からの脱出/渡邊ミドリ師
詩篇119篇81~88節
 私たちは、思いもかけない出来事に出会った時、クリスチャンとしてどのようにすれば良いでしょうか。第一に、自暴自棄になってはならないということです。主の救いを求めること、御言葉に目をむけることが大切なのです。苦難の体験は、人間を非常に豊かにします。地上では、御言葉以外に救いは提供されていません。御言葉に依り頼む以外、望みの道はないのです。第二に、御言葉を握ることです。御言葉は剣(つるぎ)です。それによって勝利するのです。人間には限界がありますが、神には限界がありません。八方塞がりになった時には、自分の思いを天に向けましょう。クリスチャンに絶望はないのです。
(2015.3.15)


聞いて理解する/渡邊ミドリ師
ネヘミヤ8章1~12節
 ネヘミヤは、良い環境の中で、突然悪い知らせを聞きました。彼と神の民たちは、どのようにそれに対応し、受け入れていったのでしょうか。この箇所は、教会と信徒はこうあるべきだということを教えてくれます。ネヘミヤと民たちは、まず一箇所に集まりました。そして彼らが真っ先に求めたのは、御言葉だったのです。彼らは真理を求め、それを知りました。その時、民は歓喜に涙し、喜びを分かち合ったのです。真理を知る人とはどういう人でしょうか。教えられたことを聞いて、理解し、そして「行動」する人です。神様はひとりひとりに賜物を与えられています。主のために自分が何を成すべきかを考えましょう。
(2015.3.8)


主は私を形造られた/渡邊ミドリ師
詩篇119篇73~80節
 この箇所から教えられることは、第一に、主の御手が私たちの内にあるということです。私たちは、神ご自身の御手によって丁寧に一人一人造られました。どのような表現をもってしても、その愛情を言い表すことはできません。第二に、人は神の御心を知るように造られたということです。私たちには、創造主を知る悟りが与えられています。その悟りによって、神のために何を成すべきかを知るのです。神が悩み苦しみを与えられるのは、そこから悟りや慰めを得て、神の御言葉を学んでいくためです。それにより成長していくのです。私たちの心はすべて神に統御されなければなりません。
(2015.3.1)


苦しみに学ぶ/渡邊ミドリ師
詩篇119篇65~72節
 苦しみを信仰のバネ、信仰の力とするために必要なこと、学ぶべきことは何でしょう。第一に、神は必ず私たち個人個人を顧みてくださるということを信じることです。善を成してくださる神は、私たちに起こった悪いことを祝福へと変えてくださいます。第二に、苦しみを通して分別と知識が与えられるということです。クリスチャンには自分をコントロールする理性、分別が非常に大切です。分別のある人とは、海綿が水を吸うように御言葉を吸う人です。御言葉が霊の力、霊の糧となり、ますます人は輝きます。良いクリスチャンほど、サタンの的になりやすいのです。それを退けるには、神に顧みられる信仰が必要なのです。
(2015.2.22)


苦しみに勝つ/渡邊ミドリ師
詩篇119篇57~64節
 苦しみに勝つためには、第一に、イエス・キリストこそ私の所有者であり、私もまたキリストの所有者であると知ることです。そして、そう心に宣言することが大切なのです。私たちは主の所有物であるがゆえに、主の戒めを守るのです。それに従っていくならば、数々の苦難に勝利することができるのです。第二に、御言葉の示す方へと足を向けることです。世の中は誘惑や試練で満ちています。私たちを正しく導くのは、御言葉しかないのです。唯一の真の神であるイエス・キリストに、ためらわず従いましょう。そして「本当の」クリスチャンになっていただきたいと思います。
(2015.2.15)


慰めを得るもの/渡邊ミドリ師
詩篇119篇49~56節
 この箇所は、私たちの失意や悲しみの時、慰め励ましを得られるものは何か、ということを教えてくれます。その一つは、御言葉に頼ること、御言葉を思い出すことです。サタンは、私たちの肉体的・霊的な弱さにつけこみ、様々な問題を起こします。しかし、御言葉によって養われている人には、御言葉による解決が必ず与えられます。二つ目は、主の臨在をそこで見るということです。私たちは、人生の中でいろいろな試練を体験し続けますが、どんな場所においても主の臨在を確実に感じることができます。それをもたらすのは御言葉です。私たちを本当に慰められるのは、主ご自身であり、御言葉しかないということを教えられ、霊の糧としていただきたいと思います。
(2015.2.8)


決して離してはならないもの/渡邊ミドリ師
詩篇119篇41~48節
 一生涯、主の律法(おきて)の道を守る私たちが、死してもなお持っていくもの、その一つ目は恵みと救いです。私たちは、イエス様の十字架の救いにあずかりました。それにより新生し、数え切れないほどの恵みにあずかっているのです。私たちを誘惑するものはたくさんあります。それをしりぞけるのは、御言葉です。御言葉に立っていれば、必ず敵は恥を見、すべての問題は解決します。主を畏れ敬うことが大切なのです。二つ目は、本当の自由です。私たちは、真理の御言葉をたずさえたまま主のもとに行きます。そこで待っていてくださるのは、主イエス様ご自身です。人生を振り返り、これで良かったと言えるような、御言葉を慕い求めるクリスチャンになっていただきたいと思います。
(2015.2.1)


道と悟り/渡邊ミドリ師
詩篇119篇33~40節
 聖書が教える道と悟りを知るためには、どのようにすれば良いのでしょうか。第一に、律法(おきて)を求めることです。私たちが道を踏み外し罪を犯さないために導いてくださるのは、主ご自身です。主は確かな道、誤りない道を示されます。その律法(おきて)の道を終わりまで守り従っていくなら、その報いとして主は私たちに良いものをお与えくださるのです。第二に、悟りを喜ぶ者となることです。御言葉を悟れる人は、自らを戒めます。大切なのは、神の戒めの御言葉を慕い求めることです。主の御言葉を悟り、それを自分のものとして、しっかりと主の道に従う者となってください。それこそが人生に喜びをもたらすのです。
(2015.1.25)


新しい出エジプト/渡邊ミドリ師
イザヤ46章9~10節、ハガイ2章4~9節
 神は、私たちに昔のことを思い出させます。神が昔に成してくださったことを思い出し、新たに行動し、主の約束に向かって歩むことを望まれます。事が成就するには、主から来ることに従うだけで良いのです。大切なのは、過去の栄光の中にとらわれるのではなく、神殿の中に神の栄光を見ることです。教会の中全体が聖められなくてはなりません。それには、ひとりひとりが本当のクリスチャンとして、霊的に整えられていくことが必要です。御言葉にしたがって、事を始めてください。私たちは、自分の心に合わなくとも、主のなさろうとしていることには、一歩踏み出していきたいと思います。
(2015.1.18)


福音の子/渡邊ミドリ師
ルカ2章41~52節
 聖書は主イエスの御姿を通して、家庭と教会の果たす役割を教えています。イエス様は知性的な面で、見事に健全な成長をしています。肉体の面でも背丈が伸び強くなり、霊的な面でも、神と人とに愛されて成長したのです。マリアとヨセフは宗教教育をきちんとしていました。私たちも子どもたちを育てる時、また子どもたちが教会に来た時、その子たちの成長を責任をもって見守ることです。霊的な成長、そして肉体の面での健康を管理し、健全な成長をしていくように導かなければなりません。また私たち自身も、年をとってもますます主に仕え、さらに用いられるように祈りましょう。
(2015.1.11)


万事を益として下さる神/渡邊ミドリ師
ローマ8章28~39節
 信仰者であっても、日々あらゆることに直面します。苦しみが続くと、信仰が揺さぶられることもあります。しかし私たちは、すべてのことが益となることを信じて、苦しみを受け入れなければなりません。万時が益となる信仰とはどんなものでしょうか。神様にすべてをゆだねることです。実を結ばない苦しみはありません。苦しみは決して無駄ではないということを知ってください。主は苦しみという敵から、私たちをとりなしてくださいます。神を敵に回して私たちを打ち破ることが出来る者は一人もいません。主イエスを信じたから得られる益のほうが、苦しみよりも多いのです。神様の許しこそが愛です。主イエスの愛に勝るものはありません。
(2015.1.4)


キリストのからだ、それはすばらしいファミリー/渡邊真太郎師
Iコリント12章25~27節、ローマ12章15節
 教会に集う人たちは、偶然集まったわけではありません。神に呼び集められているのです。ここに集うこと自体に、神のご計画があるのです。この共同体の目指すべき姿は、第一に、お互いの弱さを受け入れ合うということです。自分の弱さをさらけ出し、互いにいたわり合える教会は、健全な状態といえます。第二に、お互いの栄誉栄光を、ともに喜び合うということです。ねたみを排除し、相手の喜びを共にわかちあうためには、自分にある主の大きな計画を発見することです。自分に託されている使命がわかれば、人の栄誉を受け入れることができます。また、自分の栄誉をいつも主に返すというへりくだりを生涯学び続けましょう。
(2015.1.1 新年礼拝)

What's New

みもみキリスト教会Facebookページ